友人が、拙著『幸福途上国ニッポン』についてブログに書いてくれました。
http://hiratomo.com/59489721
友達だからと単に持ち上げて誉めるのではなく、なるべく客観的に、冷静に語ろうとしている彼の姿勢に、男の愛情を感じました。
彼は高校時代に香港映画俳優「サモハン・キンポー」に似ていたので、「サモハン」と呼ばれていました。(たぶん私の命名です)
空手部に入部した当時、サモハンは現在の姿からは想像もできないほどのメタボ体型でした。そこで先輩達からは特に目を付けられ、しごきが酷い時など、サモハンは格好の餌食にされていました。
しかし文字通り「地獄のような毎日」の練習の結果(現在ならば、間違いなく社会問題になっているでしょう)サモハンの顔は、みるみると精悍な顔つきになっていきました。
無類の努力家でもあるサモハンは、最後は空手の型のレギュラー選手となりました。さらに彼の凄いところは、大学で少林寺拳法部に入部し、なんと全国大会で優勝まで果たしたのです。
大学時代にキャンパスでサモハンに出会ったとき、挨拶代わりにふざけて背後から軽く蹴りを入れてみました。すると瞬間的にかわされ、すかさずカウンターの蹴りを3発食ってしまいました。それも凄い早さで。周囲にいた女子大生の目がすっかりハートでした。(今度会ったときに、また試してみようと思ってます)
今では「サモハン」と呼んでも、なぜなのか誰も理解できないでしょう。
でも私にとって、彼はいつまでもサモハンであり、サモハンがサモハンに見えないところが、サモハンを最もサモハンらしくしているのだと、勝手に思っています。
サモハンのブログ:
http://hiratomo.com/59489721
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2011年7月4日月曜日
2011年7月3日日曜日
書店営業デビュー
先日、都内の有名書店15店舗に営業をしてきた。
書籍コーディネーターの小山氏に同行していただき、書店員の方に拙著の宣伝をお願いするのが目的だ。
今までまったく知らなかったのは、大きな書店では売り場ごとに担当の書店員さんが違うこと。そして各担当の方の裁量で、本の並べ方が違ってくる。
『幸福途上国ニッポン』はまだ発売直後であり、やはりソニー元社長・出井さんの帯のインパクトもあり、平積みか、もしくは縦置きで表紙が見えるように目立つところに置かれている店が多かった。(ありがとうございます!)
書店員さんにお礼を伝え、手書きのポップを渡すと、すぐに取り付けてくれるお店もあった。
(ブックファースト渋谷店さん、有り難うございます!)
数日後には、友人が別の店の写真を送ってきてくれた。
でも、これだと帯が隠れてしまっている。どちらがいいのか、よくわからない。
まったく対照的に、某大手書店の渋谷店などで、一冊のみが棚に刺してあるだけというお店もあった。うーん、これは難しいだろう。
来週は、横浜近辺を中心にまわって行こうと思う。
誰かが「本を書く努力と、本を売る努力は同じくらいにやらないといけない」と言っていた。
まったくその通りなのかもしれない。
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書籍コーディネーターの小山氏に同行していただき、書店員の方に拙著の宣伝をお願いするのが目的だ。
今までまったく知らなかったのは、大きな書店では売り場ごとに担当の書店員さんが違うこと。そして各担当の方の裁量で、本の並べ方が違ってくる。
『幸福途上国ニッポン』はまだ発売直後であり、やはりソニー元社長・出井さんの帯のインパクトもあり、平積みか、もしくは縦置きで表紙が見えるように目立つところに置かれている店が多かった。(ありがとうございます!)
書店員さんにお礼を伝え、手書きのポップを渡すと、すぐに取り付けてくれるお店もあった。
(ブックファースト渋谷店さん、有り難うございます!)
数日後には、友人が別の店の写真を送ってきてくれた。
でも、これだと帯が隠れてしまっている。どちらがいいのか、よくわからない。
まったく対照的に、某大手書店の渋谷店などで、一冊のみが棚に刺してあるだけというお店もあった。うーん、これは難しいだろう。
来週は、横浜近辺を中心にまわって行こうと思う。
誰かが「本を書く努力と、本を売る努力は同じくらいにやらないといけない」と言っていた。
まったくその通りなのかもしれない。
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2011年6月23日木曜日
幸福度指標は無駄なのか?
「国民の幸福など測っても無駄です。そもそも幸せは測れないもの」と、幸福度指標元世界銀行副総裁の西水美恵子氏が語っている。
「国民総生産は生産物を市場価格に換算して足し合わせる。ところが幸福は人それぞれ、市場価格などで換算できず足し算できない。『測れるものは必ず管理される』という言葉があります。国民の幸福を無理に数値化すると、国が間違った指標を管理しようとして危険なことになります」
http://www.nikkei.com/news/interview/genre/article/g=96958A96889DE2EBE7E4E5E4E4E2E0E2E2E4E0E2E3E2869180E2E2E2;p=9694E3E3E2E1E0E2E3E2E7E4E4EB
「国民総生産は生産物を市場価格に換算して足し合わせる。ところが幸福は人それぞれ、市場価格などで換算できず足し算できない。『測れるものは必ず管理される』という言葉があります。国民の幸福を無理に数値化すると、国が間違った指標を管理しようとして危険なことになります」
http://www.nikkei.com/news/interview/genre/article/g=96958A96889DE2EBE7E4E5E4E4E2E0E2E2E4E0E2E3E2869180E2E2E2;p=9694E3E3E2E1E0E2E3E2E7E4E4EB
うーん。
確かに西水氏の発言には一理ある。しかし彼女は、「幸福度指標」と「個人の人生の満足度」を同じだと考えているのだろうか。
「幸福度指標」として政府が、たとえば識字率、自殺率、親しい友人の数、収入、・・・等々の基準で幸福度を測ろうとすると問題はあるだろし、危険なこともあるだろう。ひとそれぞれ、どうやって幸福を感じるかが千差万別なのだから。
しかし「人生の満足」はどうだろう。これだと、「何によって満足したか」は問われない。人生をアクティブに満喫しようが、家でゲームをやっていようが、結果として「満足しているかどうか」だけの問題になる。
では、「満足度の基準」がひとそれぞれ、まったく違うことはありうるだろうか。
ひとりひとりの「満足度」の基準が違うとすると、それを足し合わせても意味がないことになる。すると、顧客満足度が高いお店や会社には、まったく信憑性がないことになる。本当にそうだろうか。
現実は、「満足度」という尺度自体は、ほとんどの人が共有している傾向がみえる。調査する人の数が増えれば、統計的な意味合いも高くなるだろう。
もっと簡単な話、私が「80%嬉しい」と感じる80%と、他の人が「80%嬉しい」と感じる「80」という数字は、非常に近いということだ。私の90%が、ある人の10%と同じであるとは考えにくい。
したがって「幸福度指標」といっても、少し気をつけなければならない。
政府が勝手に、「これと、これと、これが国民を幸福にするから、これらをやりなさい」といった指標であるならば、非常に危険であり、そんな指標はいらないと思う。この点は、西水氏に同意できる。
しかし、「幸福度指標」が「人生の満足度」であるならば、話は別だろう。
この世の中に満足したくない人などいない。違うのは満足する方法であって、「満足したい」という欲求は人類共通どころか、生き物すべてに共通している。
だからこそ、個人の満足度が高くなる社会を目指す、という意味で「幸福度」を指標にするならば、それは社会的にも非常に有意義ではないだろうか。
でも、ここで大きな問題が出てくる。
どうすれば個人の満足度が高くなる社会になるのだろうか。
キーワードは、個人に寛容な社会。
そして個人の自由が認められている社会。
それはまた、次の機会に書きます。
もしくは、拙著『幸福途上国ニッポン』を参照してください。
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2011年6月19日日曜日
2011年6月7日火曜日
幸せのモノサシ
6月2日のクローズアップ現代で、
幸せのモノサシ
~指標づくりの模索~
まず気になったのが、幸福度が低い理由として、「格差」や「将来の不安」などの「社会的不安」を指摘することが当たり前のようになっていることだ。
昔はもっと幸せに暮らしていたのに、近年の政治不信なども重なって、日本人が幸せを実感していない、という論調である。
はっきりいうが、これは事実とまったく異なる。
日本の幸福度は、1958年からほぼ変化していない。そして1980年代のバブル期には、日本は世界で2番目に格差の少ない社会だった。当時の失業率も2%程度と、雇用の問題も年金の問題も一切なかった。しかし、当時の日本の幸福度は、今と同じく先進国で最低だった。
(参照:『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭著)
要するに、現在の日本人の幸福度が低い理由に、格差等の経済・社会的な要因はまったく関係ないのが事実である。もちろんGDPとも関係ないことは、周知の事実だ。
「昔は幸せだった」と言ってる人も、単なる勘違いなのである。なにしろ、50年以上も前から日本の幸福度が変わっていないのだから。
では、なぜ日本人はそれほど幸せを実感していないのだろうか。
実は、日本とまったく同じ傾向を示している国がある。韓国、台湾、香港、シンガポールである。これらの国は、すべて幸福度があまり高くない。
ここから推測できるのは、東アジア(シンガポールは東アジアではないが、華人が77%を占めている)には、社会構造として幸福度を低くする仕組みがあるのではないか、ということである。
次回から、「幸福度を頭打ちにする構造」について、考えていきたい。
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幸せのモノサシ
~指標づくりの模索~
が放送された。
幸せ…とらえどころのない、人類の永遠のテーマ。この幸せというのは、どうやって測るのか?…今、世界各国で、国民の“幸福度”を測る新しい指標づくりが進んでいる。背景にあるのは、これまで社会の豊かさを測る基準とされてきたGDPなど経済指標の行き詰まり。所得上昇と幸せが結びつかない(幸福の逆説)、地球環境などの持続可能性がない(成長の限界)などが明らかになり、社会の進歩を何で測っていくのかが改めて問われているのだ。日本でも内閣府が、経済学者・社会学者・心理学者の意見を集約し、幸福度指標の原案を示す計画だ。一方、自治体や企業の中には、経済成長や所得上昇など金銭の豊かさでない、新たな幸福論を掲げて既存のあり方を見直そうとするところも出てきている。何故今、幸せを測る必要があるのか?一体、これからの日本の「幸せ」とはどんなものなのか?これから私たちがめざす社会のあり方・人々の生き方を、指標という側面から考える。
まず気になったのが、幸福度が低い理由として、「格差」や「将来の不安」などの「社会的不安」を指摘することが当たり前のようになっていることだ。
昔はもっと幸せに暮らしていたのに、近年の政治不信なども重なって、日本人が幸せを実感していない、という論調である。
はっきりいうが、これは事実とまったく異なる。
日本の幸福度は、1958年からほぼ変化していない。そして1980年代のバブル期には、日本は世界で2番目に格差の少ない社会だった。当時の失業率も2%程度と、雇用の問題も年金の問題も一切なかった。しかし、当時の日本の幸福度は、今と同じく先進国で最低だった。
(参照:『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭著)
要するに、現在の日本人の幸福度が低い理由に、格差等の経済・社会的な要因はまったく関係ないのが事実である。もちろんGDPとも関係ないことは、周知の事実だ。
「昔は幸せだった」と言ってる人も、単なる勘違いなのである。なにしろ、50年以上も前から日本の幸福度が変わっていないのだから。
では、なぜ日本人はそれほど幸せを実感していないのだろうか。
実は、日本とまったく同じ傾向を示している国がある。韓国、台湾、香港、シンガポールである。これらの国は、すべて幸福度があまり高くない。
ここから推測できるのは、東アジア(シンガポールは東アジアではないが、華人が77%を占めている)には、社会構造として幸福度を低くする仕組みがあるのではないか、ということである。
次回から、「幸福度を頭打ちにする構造」について、考えていきたい。
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2011年5月25日水曜日
2011年5月15日日曜日
同性結婚
日本だと「同性結婚」だが、アメリカではGay Marriageになる。(Same Sex Marriageともいう)
で、以下はアメリカの女性コメディアンの言葉。
要するに、Gay Marriage という表現自体がおかしい。
「今日の午後、ゲイ・ランチをした」
「車をゲイ駐車した」
なんていわないでしょ、ということ。
なるほどね。
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