3月17日に予定していました「ゆるく哲学しよう」は、延期することにしました。
この件につきましては、また追って連絡いたします。
2011年3月16日水曜日
2011年3月10日木曜日
2011年3月4日金曜日
最後の砦
好きなことで生きろと、人はいう
個性が大事と、皆もうなずく
やりたいことを探し、旅に出る者もいる
街にはモノがあふれ
人生の選択肢は無限大にあるかのようだ
でもぼくは混乱している
選択肢が多いからではない
個性とともに協調性を求められ
やりたいことも、常識を超えてはいけない
ぼくに許されるのは
すでにあるものを消費するだけ
結局ぼくの自由とは
常識と、前例と、世間体と
年齢と、性別に相応という縛りのなかで
人に迷惑にならないように
周りに気をつかいながら
かすかに残ったぼくの残がいを拾うだけ
ぼくの心は知っている
ぼくがぼくであるために
ぼくの心を解放するには
好きなことは好き、嫌いなことは嫌いと
堂々と宣言することだ
いくら常識外れと言われても
どれだけ人と違い
どれほどワガママと非難されようが
たとえ年不相応と呼ばれ
男らしくなくても
自分にだけは正直でありたい
ぼくがぼくでいるための
それが最後の砦(とりで)なのだから
個性が大事と、皆もうなずく
やりたいことを探し、旅に出る者もいる
街にはモノがあふれ
人生の選択肢は無限大にあるかのようだ
でもぼくは混乱している
選択肢が多いからではない
個性とともに協調性を求められ
やりたいことも、常識を超えてはいけない
ぼくに許されるのは
すでにあるものを消費するだけ
結局ぼくの自由とは
常識と、前例と、世間体と
年齢と、性別に相応という縛りのなかで
人に迷惑にならないように
周りに気をつかいながら
かすかに残ったぼくの残がいを拾うだけ
ぼくの心は知っている
ぼくがぼくであるために
ぼくの心を解放するには
好きなことは好き、嫌いなことは嫌いと
堂々と宣言することだ
いくら常識外れと言われても
どれだけ人と違い
どれほどワガママと非難されようが
たとえ年不相応と呼ばれ
男らしくなくても
自分にだけは正直でありたい
ぼくがぼくでいるための
それが最後の砦(とりで)なのだから
2011年2月28日月曜日
オタク宣言
オタクと呼ばれる人が、私は個人的に好きだ。
私自身に共通した要素があることも理由のひとつだが、最大の理由は、オタクは「自分が好きなこと」と「他の人が好きなこと」を天秤にかけないからだ。
近年は多くの親が子供に「好きなことをやりなさい」と言う。しかし実際は、親の「好き」の範囲でなければ認められない。つまり子供の好きなことではなく、親の好きなことなら何でもいいだけ。
自分の心に正直に、忠実に生きることは容易ではない。常識、他人の目、世間体、前例など、黙って従えとプレッシャーをかけてくる。30歳は30歳らしく、男は男らしく、親は親らしく等々、すべてを「~らしく」という決まった形に当てはめようとするプレッシャー。
本当に「自分らしく」生きることは、とてもむずかしい。でもオタクは少なくとも、自分が心から愛することを明確にわかっている。
普通でいたいと願い、こだわりもなく、他人に協調することにばかり気を取られて生きるよりも、たとえ世間から揶揄されようが、自分に忠実に生きる姿勢を崩さないオタクの生き方にこそ、人間としての魅力を感じる。
ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ
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私自身に共通した要素があることも理由のひとつだが、最大の理由は、オタクは「自分が好きなこと」と「他の人が好きなこと」を天秤にかけないからだ。
近年は多くの親が子供に「好きなことをやりなさい」と言う。しかし実際は、親の「好き」の範囲でなければ認められない。つまり子供の好きなことではなく、親の好きなことなら何でもいいだけ。
自分の心に正直に、忠実に生きることは容易ではない。常識、他人の目、世間体、前例など、黙って従えとプレッシャーをかけてくる。30歳は30歳らしく、男は男らしく、親は親らしく等々、すべてを「~らしく」という決まった形に当てはめようとするプレッシャー。
本当に「自分らしく」生きることは、とてもむずかしい。でもオタクは少なくとも、自分が心から愛することを明確にわかっている。
普通でいたいと願い、こだわりもなく、他人に協調することにばかり気を取られて生きるよりも、たとえ世間から揶揄されようが、自分に忠実に生きる姿勢を崩さないオタクの生き方にこそ、人間としての魅力を感じる。
ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ
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2011年2月26日土曜日
お知らせ(参加者募集)
3月17日(木)20時から、ゆるく哲学する「ユル哲」を開催します。
今回のテーマは
「人はなぜインドに憧れるのか」
「インド」と聞いて、なにか神秘的なものを想像する人は多いのではないでしょうか。私自身もそんなイメージを抱き、かつてインドを目指しました。結果として2年ほどインド国内を放浪し、そのうちの1年をアシュラムと呼ばれる瞑想寺で過ごしました。
よく「インドはハマる人と、そうではない人に別れる」と聞きますが、私は実は、どちらでもない気がします。しかし少なくとも、インドに沢山の魅力があることは間違いないでしょう。ひとことで「インド」といっても、人口が10億を超える大きな国ですし、言語も主なものだけで15を超えます。インド料理が辛いというのも、一部を指しているだけです。そんなインドの魅力とともに、なぜ多くの人々はインドに憧れるのか、という視点から「インド」を考えてみたいと思います。
行ったことはないけれどインドに興味のある人、行きたくもないし興味もないけど、インドに憧れる人の気を知りたい人、そしてもちろんインド通の人も、「インド」という言葉で何かを感じる方は是非ご参加ください。
今回はインド人の友人も参加する予定です。
参考図書として、『インドのことはインド人に聞け!』(中島岳志著)、『深い河』(遠藤周作著)その他を予定しています。
詳しくは、以下のリンクから:
http://kokorouta.wordpress.com/
.
今回のテーマは
「人はなぜインドに憧れるのか」
「インド」と聞いて、なにか神秘的なものを想像する人は多いのではないでしょうか。私自身もそんなイメージを抱き、かつてインドを目指しました。結果として2年ほどインド国内を放浪し、そのうちの1年をアシュラムと呼ばれる瞑想寺で過ごしました。
よく「インドはハマる人と、そうではない人に別れる」と聞きますが、私は実は、どちらでもない気がします。しかし少なくとも、インドに沢山の魅力があることは間違いないでしょう。ひとことで「インド」といっても、人口が10億を超える大きな国ですし、言語も主なものだけで15を超えます。インド料理が辛いというのも、一部を指しているだけです。そんなインドの魅力とともに、なぜ多くの人々はインドに憧れるのか、という視点から「インド」を考えてみたいと思います。
行ったことはないけれどインドに興味のある人、行きたくもないし興味もないけど、インドに憧れる人の気を知りたい人、そしてもちろんインド通の人も、「インド」という言葉で何かを感じる方は是非ご参加ください。
今回はインド人の友人も参加する予定です。
参考図書として、『インドのことはインド人に聞け!』(中島岳志著)、『深い河』(遠藤周作著)その他を予定しています。
詳しくは、以下のリンクから:
http://kokorouta.wordpress.com/
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2011年2月21日月曜日
夫婦の別姓を、認める理由と認めない理由
夫婦別姓について、訴訟が2月14日にはじまった。
さて、選択的夫婦別姓について、あなたはどのような意見だろうか。
「夫婦別姓」で検索してみたところ、「ちょっと待った!夫婦別姓」というサイトがヒットした。内容的には反対派を象徴していると思うので、同サイトで主張している内容を以下に抜粋してみる。
そして、まとめとして以下のように述べている。
私が特に気になったのは、まず最初の論点である。
確かに、こういった問題は現実として起こっている。しかし、その理由を
としているあたりは、首をかしげてしまう。個人主義が蔓延すると、幼児虐待やDV、離婚、育児放棄などが増えるのだろうか。個人主義が浸透している欧米諸国の現状はどうなっているか。
実際の統計を見てみると、世界的にドメスティックバイオレンスがもっとも頻繁に起こっているのは南アフリカである。南アフリカ人女性のうち40%が、初めての性交渉がレイプだったと語っている。そしてエジプトの地方では、80%の女性が夫に虐待された経験がある。(理由の多くは、夫とのセックスを拒否したため)
世界の他の国をみても、虐待の率が高いのは発展途上国であり、欧米諸国は比較的に低い。
http://info.k4health.org/pr/l11/violence.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_domestic_violence
そもそも「個人主義」とは、自分と共に他人の権利も尊重するものである。そこで個人主義が浸透すればするほど、女性や子供への虐待は減るはずであるし、実際にもそういう傾向を示している。だから虐待は、個人の尊重とは正反対の、男尊女卑的な発想、もしくは集団主義的な発想をもっているほうが起こりやすい。そして中東諸国やアフリカ諸国などは、男尊女卑や集団主義的な要素が非常に強い。
では日本はどうかというと、世界的なレベルで比べると、男尊女卑が根強く残っている。ちなみに男女平等指数では、日本は134ヶ国中94位と、先進国で最低である。つまり、日本には個人主義がほとんど浸透していないことになる。くどいかもしれないが、個人主義が浸透すれば、個人の自由と権利を保障してくれるので、「女性」という立場だけで不利な扱いをされることはない。
近年日本に増えてきたとされる「モンスター」などは、個人主義者ではなく、利己主義者である。この二つは似ているようだが、本質的にはまったく違う。利己主義者は自分の利益しか考えないが、個人主義者は、自分の利益を守ると同時に、他人の利益も尊重する。
では、離婚率の増加はどうだろう。離婚率はすべての先進国で増えている。しかし男女が別姓にすると離婚率が上がるという根拠はどこにもない。
結婚の選択肢として、男女が別々の姓を名乗りたいという「違ったライフスタイル」を求める人に対して、「それはダメです」と禁止することは、個人の自由を束縛するだけでなく、ある特定の人々の価値観を押しつけているにすぎない。
寛容な社会とは、人と違った生き方をしても、それが他人の自由を奪わないかぎり、すべて認めることではないだろうか。伝統や慣習などは、かならずしも最優先課題とするべきではないのかもしれない。
たとえ伝統を守っても、個人が幸せでなければ、そんな伝統は必要ないだろう。事実として、人類の発展の歴史は、奴隷制度や差別など、数々の個人を抑圧する制度を廃止してきた。
そういった個人に寛容な、懐の深い社会こそが、本当に人にやさしい社会なのであろう。
夫婦別姓を認めない民法の規定は個人の尊厳や両性の平等を保障した憲法に反するとして、3都府県の男女5人が14日、1人100万~150万円の国家賠償などを求めて東京地裁に提訴した。原告側によると、夫婦別姓を求める違憲訴訟は初めて。法制審議会が96年に夫婦が各自の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」の導入を答申したものの、長期にわたり立法措置が取られていないことから「国会の怠慢は明らかだ」と訴える。(by 毎日JP)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110214-00000072-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110214-00000577-san-soci
さて、選択的夫婦別姓について、あなたはどのような意見だろうか。
「夫婦別姓」で検索してみたところ、「ちょっと待った!夫婦別姓」というサイトがヒットした。内容的には反対派を象徴していると思うので、同サイトで主張している内容を以下に抜粋してみる。
このサイトを書いてる人、なんと動画まで作ってます!1) 現在、さまざまな面で家庭や地域社会の機能が損なわれ、それが原因となって さまざまな犯罪や、けじめや責任感のないいい加減な結婚離婚がたくさん起き、 それによって人が傷ついたり悲しい思いをしたり被害を受けたりしている。 実例として幼児虐待の問題や、ドメスティックバイオレンス、離婚率の増加、 子供放置、育児放棄、その他。(2) その背景には、家族・親族という共同体の機能よりも個人の嗜好や趣味や 楽しみを優先するという誤った個人主義観の蔓延がある。(3) 婚姻時の氏の統一には、新家庭の建設とともに名称を決定するという意義が 存在するが、その意義よりも個人の小さな都合のほうを優先する考え方が、選択制度 主張の背景に存在している。(4) つまり選択制度をよしとすることは、(2)のような誤った個人主義観を法律や 社会や政治が公認したかのような錯覚を与え、ひいてはそれによって(1)のような 問題を起こす人たちを助長する恐れがある。
そして、まとめとして以下のように述べている。
さて、以上の論点について、あなたは納得されただろうか。(1) 現行の制度にはきちんとした意味があって現在の形になっている(2) どうしても選択制度にしなければならない理由について、納得のいく説明が されない(3) したがって選択制度は「特に必要性のない制度」と判断せざるを得ない(4) もし現在の制度よりも優れた制度があるなら賛成するのにやぶさかではないが、 検証してみると選択制度は利点よりも欠点や問題点のほうが多いと思われる(5) 以上のことより、選択的夫婦別姓制度には賛成できない
私が特に気になったのは、まず最初の論点である。
幼児虐待の問題や、ドメスティックバイオレンス、離婚率の増加、 子供放置、育児放棄
確かに、こういった問題は現実として起こっている。しかし、その理由を
共同体の機能よりも個人の嗜好や趣味や 楽しみを優先するという誤った個人主義観の蔓延
としているあたりは、首をかしげてしまう。個人主義が蔓延すると、幼児虐待やDV、離婚、育児放棄などが増えるのだろうか。個人主義が浸透している欧米諸国の現状はどうなっているか。
実際の統計を見てみると、世界的にドメスティックバイオレンスがもっとも頻繁に起こっているのは南アフリカである。南アフリカ人女性のうち40%が、初めての性交渉がレイプだったと語っている。そしてエジプトの地方では、80%の女性が夫に虐待された経験がある。(理由の多くは、夫とのセックスを拒否したため)
世界の他の国をみても、虐待の率が高いのは発展途上国であり、欧米諸国は比較的に低い。
http://info.k4health.org/pr/l11/violence.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_domestic_violence
そもそも「個人主義」とは、自分と共に他人の権利も尊重するものである。そこで個人主義が浸透すればするほど、女性や子供への虐待は減るはずであるし、実際にもそういう傾向を示している。だから虐待は、個人の尊重とは正反対の、男尊女卑的な発想、もしくは集団主義的な発想をもっているほうが起こりやすい。そして中東諸国やアフリカ諸国などは、男尊女卑や集団主義的な要素が非常に強い。
では日本はどうかというと、世界的なレベルで比べると、男尊女卑が根強く残っている。ちなみに男女平等指数では、日本は134ヶ国中94位と、先進国で最低である。つまり、日本には個人主義がほとんど浸透していないことになる。くどいかもしれないが、個人主義が浸透すれば、個人の自由と権利を保障してくれるので、「女性」という立場だけで不利な扱いをされることはない。
近年日本に増えてきたとされる「モンスター」などは、個人主義者ではなく、利己主義者である。この二つは似ているようだが、本質的にはまったく違う。利己主義者は自分の利益しか考えないが、個人主義者は、自分の利益を守ると同時に、他人の利益も尊重する。
では、離婚率の増加はどうだろう。離婚率はすべての先進国で増えている。しかし男女が別姓にすると離婚率が上がるという根拠はどこにもない。
結婚の選択肢として、男女が別々の姓を名乗りたいという「違ったライフスタイル」を求める人に対して、「それはダメです」と禁止することは、個人の自由を束縛するだけでなく、ある特定の人々の価値観を押しつけているにすぎない。
寛容な社会とは、人と違った生き方をしても、それが他人の自由を奪わないかぎり、すべて認めることではないだろうか。伝統や慣習などは、かならずしも最優先課題とするべきではないのかもしれない。
たとえ伝統を守っても、個人が幸せでなければ、そんな伝統は必要ないだろう。事実として、人類の発展の歴史は、奴隷制度や差別など、数々の個人を抑圧する制度を廃止してきた。
そういった個人に寛容な、懐の深い社会こそが、本当に人にやさしい社会なのであろう。
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