夫婦別姓を認めない民法の規定は個人の尊厳や両性の平等を保障した憲法に反するとして、3都府県の男女5人が14日、1人100万~150万円の国家賠償などを求めて東京地裁に提訴した。原告側によると、夫婦別姓を求める違憲訴訟は初めて。法制審議会が96年に夫婦が各自の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓制度」の導入を答申したものの、長期にわたり立法措置が取られていないことから「国会の怠慢は明らかだ」と訴える。(by 毎日JP)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110214-00000072-mai-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110214-00000577-san-soci
さて、選択的夫婦別姓について、あなたはどのような意見だろうか。
「夫婦別姓」で検索してみたところ、「ちょっと待った!夫婦別姓」というサイトがヒットした。内容的には反対派を象徴していると思うので、同サイトで主張している内容を以下に抜粋してみる。
このサイトを書いてる人、なんと動画まで作ってます!1) 現在、さまざまな面で家庭や地域社会の機能が損なわれ、それが原因となって さまざまな犯罪や、けじめや責任感のないいい加減な結婚離婚がたくさん起き、 それによって人が傷ついたり悲しい思いをしたり被害を受けたりしている。 実例として幼児虐待の問題や、ドメスティックバイオレンス、離婚率の増加、 子供放置、育児放棄、その他。(2) その背景には、家族・親族という共同体の機能よりも個人の嗜好や趣味や 楽しみを優先するという誤った個人主義観の蔓延がある。(3) 婚姻時の氏の統一には、新家庭の建設とともに名称を決定するという意義が 存在するが、その意義よりも個人の小さな都合のほうを優先する考え方が、選択制度 主張の背景に存在している。(4) つまり選択制度をよしとすることは、(2)のような誤った個人主義観を法律や 社会や政治が公認したかのような錯覚を与え、ひいてはそれによって(1)のような 問題を起こす人たちを助長する恐れがある。
そして、まとめとして以下のように述べている。
さて、以上の論点について、あなたは納得されただろうか。(1) 現行の制度にはきちんとした意味があって現在の形になっている(2) どうしても選択制度にしなければならない理由について、納得のいく説明が されない(3) したがって選択制度は「特に必要性のない制度」と判断せざるを得ない(4) もし現在の制度よりも優れた制度があるなら賛成するのにやぶさかではないが、 検証してみると選択制度は利点よりも欠点や問題点のほうが多いと思われる(5) 以上のことより、選択的夫婦別姓制度には賛成できない
私が特に気になったのは、まず最初の論点である。
幼児虐待の問題や、ドメスティックバイオレンス、離婚率の増加、 子供放置、育児放棄
確かに、こういった問題は現実として起こっている。しかし、その理由を
共同体の機能よりも個人の嗜好や趣味や 楽しみを優先するという誤った個人主義観の蔓延
としているあたりは、首をかしげてしまう。個人主義が蔓延すると、幼児虐待やDV、離婚、育児放棄などが増えるのだろうか。個人主義が浸透している欧米諸国の現状はどうなっているか。
実際の統計を見てみると、世界的にドメスティックバイオレンスがもっとも頻繁に起こっているのは南アフリカである。南アフリカ人女性のうち40%が、初めての性交渉がレイプだったと語っている。そしてエジプトの地方では、80%の女性が夫に虐待された経験がある。(理由の多くは、夫とのセックスを拒否したため)
世界の他の国をみても、虐待の率が高いのは発展途上国であり、欧米諸国は比較的に低い。
http://info.k4health.org/pr/l11/violence.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Epidemiology_of_domestic_violence
そもそも「個人主義」とは、自分と共に他人の権利も尊重するものである。そこで個人主義が浸透すればするほど、女性や子供への虐待は減るはずであるし、実際にもそういう傾向を示している。だから虐待は、個人の尊重とは正反対の、男尊女卑的な発想、もしくは集団主義的な発想をもっているほうが起こりやすい。そして中東諸国やアフリカ諸国などは、男尊女卑や集団主義的な要素が非常に強い。
では日本はどうかというと、世界的なレベルで比べると、男尊女卑が根強く残っている。ちなみに男女平等指数では、日本は134ヶ国中94位と、先進国で最低である。つまり、日本には個人主義がほとんど浸透していないことになる。くどいかもしれないが、個人主義が浸透すれば、個人の自由と権利を保障してくれるので、「女性」という立場だけで不利な扱いをされることはない。
近年日本に増えてきたとされる「モンスター」などは、個人主義者ではなく、利己主義者である。この二つは似ているようだが、本質的にはまったく違う。利己主義者は自分の利益しか考えないが、個人主義者は、自分の利益を守ると同時に、他人の利益も尊重する。
では、離婚率の増加はどうだろう。離婚率はすべての先進国で増えている。しかし男女が別姓にすると離婚率が上がるという根拠はどこにもない。
結婚の選択肢として、男女が別々の姓を名乗りたいという「違ったライフスタイル」を求める人に対して、「それはダメです」と禁止することは、個人の自由を束縛するだけでなく、ある特定の人々の価値観を押しつけているにすぎない。
寛容な社会とは、人と違った生き方をしても、それが他人の自由を奪わないかぎり、すべて認めることではないだろうか。伝統や慣習などは、かならずしも最優先課題とするべきではないのかもしれない。
たとえ伝統を守っても、個人が幸せでなければ、そんな伝統は必要ないだろう。事実として、人類の発展の歴史は、奴隷制度や差別など、数々の個人を抑圧する制度を廃止してきた。
そういった個人に寛容な、懐の深い社会こそが、本当に人にやさしい社会なのであろう。
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