2010年8月9日月曜日

幸福度について: ④宗教と幸福度

宗教は、人を幸福にするのだろうか。

心理学者マーティン・セリグマン教授によると、個人にたずねた場合、宗教を信仰している人のほうが、信仰心のない人よりも幸福度が高いという。しかしながら、この結果をそのまま社会の幸福度に当てはめることはできない。国の幸福度と信仰心の関係を見ると、もうすこし複雑な結果が出ている。

敬虔なカトリック教徒を多く抱えるラテンアメリカ諸国の幸福度は比較的に高い。それは同程度の経済発展の国と比べても、ずば抜けて高い幸福度を示している。ラテンアメリカの事情については、また別の機会に詳しく考察したいので、ここでは触り程度にしておくが、高い信仰心がラテンアメリカの高い幸福度に何らかの貢献をしていることは間違いないだろう。

しかしながら、多くの敬虔なカトリック信者を抱えるポーランドの幸福度は、他の東ヨーロッパの例にもれず、低い幸福度を示しているという事実もある。つまり、信仰心よりも社会体制が幸福度に与える影響が強いということだろう。

そして敬虔なイスラム教徒を抱える国々では、どの国でもあまり幸福度が高くない。その中でも特に注目したいのが、中東の資源国である。レスター大学の幸福度調査(178国)では、カタールは48位、クウェートは37位、サウジアラビアは28位、UAE(アラブ首長国連邦)は19位であった。そしてワールド・データベース・オブ・ハピネス(146国)では、カタールが37位、クウェートは45位、サウジアラビアは50位、UAE(アラブ首長国連邦)は21位だった。

2009年のひとりあたりGDP(購買力平価でベース)を見てみると、カタールは約750万円と、断トツで世界一の金持ち国家である。これはスイスやアメリカの約2倍、そして日本の約2.5倍の額である。カタールは世界最大の液化天然ガス生産・輸出国であり、サウジアラビアは世界一の原油埋蔵量がある。こういった中東の資源国では、非常に手厚い社会保障が完備されている。たとえば病院や学校がすべて無料であるばかりか、最近では住宅までも無料で支給している国さえある。そこで幸福度もある程度の上位に位置してはいるのだが、北西ヨーロッパのレベルには遠く及んでいない。

ここで、少し想像してもらいたい。世界一のお金持ち国家であるだけでなく、たとえ働かなくても、衣・食・住には一切不自由しない国だ。もちろん働いてもいいし、いずれにせよ将来の心配はまったく必要ない。そんな国ならば、世界一の幸福な国家であっても不思議ではないだろう。しかしそれをすべて実現しているカタールでは、幸福度がそれほど高くない。これは衝撃的な事実でもあるといえる。少なくともカタールでは、強い信仰心が人々を幸福にしているという傾向は見られない。かえって厳格なイスラムの戒律が人々の自由を奪うことで、幸福度が低くなっているのではないかと考えることもできる。

アメリカに本部をおくNGOフリーダムハウスは、世界192ヶ国の「政治的自由」と「市民的自由」というふたつの指標から「世界の自由度」を発表している。政治的自由度とは、どれだけ自由に政治的活動ができるかであり、市民的自由度とは、表現や信仰などの個人の自由を基準にしている。それぞれが1から7までの数字で表され、「1(政治的自由)-1(市民的自由)」が最も自由度が高いことを示す。

カタールの政治的自由度は6、市民的自由度は5と、世界でも最低レベルの自由度である。そしてクウェート、UAE、サウジアラビアと、いずれの国も政治的・市民的自由度は、世界最低レベルである。イスラム教は、宗教として必ずしも不寛容な宗教とは言い切れないかもしれない。イスラム教徒の教典であるコーランの解釈によって、イスラムの教えも変わってくるからだ。しかし実際にイスラム教によって統治されている国は、ほとんどすべてが政治的および市民的自由度について世界最低を示しているという事実がある。

では、資源のないイスラム教国はどうだろう。アフガニスタン、バングラデシュ、パキスタン、イエメン、エジプトと、いずれも敬虔なイスラム教徒であり、すべてが発展途上国である。そして幸福度については、アフリカ諸国と並んで世界最下位のグループに所属する国がほとんどである。

ちなみにアフリカ諸国の多くはキリスト教徒かイスラム教徒であるが、いずれも幸福度は世界最低のレベルである。この事実は、ひとりあたりのGDPが100万円以下のコロンビアやグアテマラをはじめとするラテンアメリカが、非常に高い幸福度を示していることとは対照的である。

国家という大きな母集団となると、個人の宗教心よりもその国の政治体制や文化という国の仕組みがより大きな影響を与えていることになる。特に政治的、そして市民的な自由度については、幸福度とは逆相関の関係を示している。したがって「宗教を普及すれば、国民が幸福になる」ということは決して起きていない。それは多くの宗教が、個人の自由を制限する傾向があるからでもある。世界で常に上位を独占している北西ヨーロッパの国々では、非常に信仰心が低いという事実も付け加えておこう。


宗教とは基本的に、科学的な立証がまだ及んでいない領域の答えを明確に与えてくれる。たとえば宇宙の起源について、約137億年前にビッグバンといわれる爆発から始まったとされる「ビッグバン理論」が主流であり、それを立証する観測結果も出ている。しかしそれ以前のことは、現在の科学でもほとんどわかっていない。

そこで多くの宗教は「神」という言葉を使うことで、その分からない部分を埋めてくれる。最近では、「神」の代わりに「インテリジェント・デザイン」とよんでいる団体もあるが、実質的には「神」と同じである。実際のところは、「エックス」という謎を「神」という魔法の言葉で置き換えているだけである。つまり、この世の中でわからないことがあれば、それをすべて「神」という便利な言葉を使えば、安易に結論付けることができるのである。

しかしながら、人類の科学が発展してきた理由は、そういった謎を謎で終わらせることなく、容易に「神」として結論付けるのでもなく、「なぜなのか?」と疑問を抱くことから始まっている。つまり現在まだ解明されていない謎があるからこそ、それを解明しようとするのが科学なのであり、現在解明できないことは科学の限界ではない。そこで安易に答えを提供してしまう宗教は、「なぜ」という疑問を止めてしまうことにもつながってくる。

疑問を持たないということは、思考が停止することと同じである。つまり宗教とは、最終的に思考を停止させてしまう役割を持っている。

こうした役割を持つ「神」の存在は、権力者にとって非常に便利であろう。だからこそ、古今東西、政治的道具として宗教が利用されてきた。そして個人にとっても、安易に明確な答えを与えてくれるという意味で、思考の怠慢という事実にもなる。

発展途上国において、充分な教育を国民全体へ普及することが困難な場合、宗教が人々の心を癒やし、道徳観を高めることで秩序のある社会をつくることはできるかもしれない。しかし経済的に豊かになり、教育レベルが上昇してくると、「なぜ」という疑問を追求する姿勢を殺してしまう宗教は、不寛容等の社会的軋轢(あつれき)の原因となっていくという側面を持っている。

ただし、それぞれの国によって事情が異なるため、宗教がどのように国家に関わっていくべきかという明確な基準を設けることは無意味である。しかしながら、非宗教的で合理的な北西ヨーロッパが、どの調査結果を見ても世界でいちばん幸福な国家であるという事実は、念頭におく必要があるだろう。

1 件のコメント:

  1.  ここで科学の話が出てくるのは説得力に欠けると思います。科学で神の存在を否定できないことは、ある程度調べた人にとっては常識です。科学的手法で考えてしまえば、生命が偶然でできるはずがないことは証明されているからです。(時計が偶然にできる方がまだ確率がある)
     ただ、神を認めるといろいろと面倒なので、神は絶対にいないという思考停止状態で話を進めたい人が多いだけだと思います。もちろん、信じる信じないは人それぞれだと思いますが、科学で宗教を否定する論法は今となっては陳腐な感じがします。

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