2010年8月5日木曜日

幸福度について: ③自殺と幸福度


自殺や自殺未遂をする人は、不幸な可能性が非常に高いだろう。自殺者や自殺未遂者のほとんどが、うつ病であるという説もある。そこで直感的に、自殺率と幸福度には相関関係があると感じるかもしれない。しかし実際に統計結果を比べてみると、自殺率と幸福度には相関が見られる地域と、まったくそうでない地域があり、より複雑な関係となっている。

自殺者が世界でいちばん多い国は、リトアニア、ベラルーシ、ロシアといった東ヨーロッパ諸国であり、10万人中それぞれ38.6人、35.1人、32.2人と、他国を大きく上回っている。10万人中15人以上の自殺者がいる国は世界で26ヶ国あるが、東ヨーロッパ諸国が半分の13ヶ国を占めている。その他で自殺率が高い国は、カザフスタン(25.9人)、日本(23.7人)、ガイアナ(22.9人)、韓国(21.9人)、ベルギー(21.1人)、フィンランド(20.1人)、フランス(17.6人)である。

自殺率の高い国は、ほとんどが旧共産主義諸国と東アジアだ。両者に共通する点をひとつあげると、「権威主義」もしくは「集団主義」だろう。共産主義国家とは、もともと集団主義を究極的な形にしようとした思想である。マルクスが理想としていた国家像と、実際に旧共産主義圏の政治体制には多くの部分で違いはある。しかし現実として、旧共産主義諸国では政府が個人の細かい行動まで制約していた。別のいいかたをすると、個人の自由が極力制限される社会である。そこで現在は民主化された東ヨーロッパの国々でも、当時の権威的な風潮が残っていると考えられる。

実際に私が東ヨーロッパ諸国を訪問したときも、非常に官僚的な雰囲気を肌で感じた。そして日本や韓国という集団主義的な社会も、規則や暗黙のルールが常に強調され、必然的に個人の多くの行動をしばっている。そこで個人主義の欧米諸国とくらべると、個人の自由度は非常に少ない。
しかしながら、個人への自由度が低いと自殺率が高いのかというと、必ずしもそうではない。世界でも非常に抑圧的で寛容性の低いイスラム教国では、少なくとも統計上では自殺がほとんど存在しない。それは、自殺が宗教の影響を強く受けることを示唆している。

イスラム教やキリスト教では、自殺は禁止されている。自殺者は地獄に堕ちると教えられているだけでなく、自殺が犯罪とされている国もある。そこで人々の生活に宗教の影響が非常に強いイスラム教圏では、イラン、シリアのように自殺者の数が100万人に1人か2人と極端に少なく、またエジプトやヨルダンのように、統計上は自殺者がゼロの国もある。またキリスト教でも、より戒律の厳しいカトリックのほうが、プロテスタントよりも自殺率が少ない。特に敬虔なカトリック教徒が多いラテンアメリカでは、ハイチやホンジュラスのように自殺者がゼロの国から、コロンビア、ブラジル、メキシコ、ベネズエラといった国々は、10万人中5人前後である。これは、日本のわずか4分の1である。

日本では、自殺することで道義的責任を果たすという風潮がいまだに根強く残っている。これは武士の時代から、切腹することで名誉を保つという習慣から受け継がれてきたからだろう。昭和に入って起こった第二次世界大戦中でも、日本軍兵士や民間人は、捕虜になるよりも自決することを選んだ人々までいる。また近年の経済不況によって、自殺率は10万人中23.7人と高くなってきているが、バブル期の80年代でも、10万人中20人前後と、比較的高いことに変わりはない。それは、経済的理由で自殺するというケースだけではないことを物語っている。


たとえば日本では、倒産した会社の社長が、責任をとる形で自殺するというケースがある。また、凶悪犯罪の加害者の家族が自殺に追い込まれるといったケースもある。そして、逮捕された政治家の秘書が自殺をするというケースもある。これらはすべて、責任を「死んでお詫(わ)びする」といった、日本の社会的風潮だ。そして多くの場合、非難される「責任」とは、家族や同じ集団といった個人以外の「連帯責任」という考えが見られる。法律では責任を問われないが、犯罪加害者の家族が非難されるといった社会のプレッシャーによって、道義的な連帯責任を追及される。こういった考え方は、個人は独立した人格ではなく、あくまで集団の一部としての存在であり、個人の命よりも集団全体の利益を優先させるという発想が根底にあるからだろう。もちろん多くの自殺者は、もっと個人的な絶望感から自殺をするのかもしれない。しかし日本の自殺者数が、他の先進諸国と比べて多いということは、多くの自殺者は、集団主義の犠牲者ともいえるのかもしれない。

さて、それでは貧困と自殺には何らかの関係があるのだろうか。世界で最も貧しい国々を抱えるアフリカでは、残念ながら、いまのところ自殺率のデータが存在しない。そこで最貧国での自殺の実態はわからない。しかしながら、自殺率の高い国には発展途上国がほとんど見あたらない。10万人あたりの自殺者が10人を超える国は世界に47ヶ国あるが、その内ひとり当たりGDPが100万円を下回る国は、わずか6ヶ国しかない。つまり、自殺の多い国の圧倒的大多数は、ひとりあたりGDPが100万円以上ということになる。さらに、自殺の統計がある最貧国を見てみると、ハイチやタジキスタンでは自殺率がほぼゼロである。そこで、貧困と自殺には相関が見られないと推測できる。そして、世界で最も不幸なアフリカ諸国と自殺率との相関関係も見られないだろう。

そもそも人類がこれまで生き残ってきた理由は、どのような逆境でも生き残ろうとする強い意志があったからである。したがって、たとえ餓死することはあっても、餓死しそうだから自殺をするというケースはあまりないのかもしれない。自殺はむしろ、未来に対する絶望からくる。衣食住という生き残るための最低条件を満たされてしまった後は、生きるための目標を失う人が出てくるのだろう。そういう意味では、自殺はうつ病と同じように現代的な現象なのかもしれない。

最後にまとめをしてみよう。自殺率の高い国は、幸福度が低いだけでなく、個人に対しての寛容度も低い。ただし自殺率の低い国は、必ずしも幸福度が高くない。自殺率が低く、幸福度の低い国は、戒律の厳しい宗教によって自殺が禁じられている社会であり、個人への寛容度も低い国である。ただし、ラテンアメリカのように信仰心が強く自殺率が低いが、個人への寛容度は比較的高く、幸福度も非常に高い国もある。

自殺率と幸福度には、複雑な関係が潜んでいる。しかし、ひとつだけ言えることがある。自殺率が低くても幸福な国とは限らないが、自殺率が高い国に、幸福な国はないということだ。そして日本の自殺率は先進国で一番多いということを、もういちど最後に付け加えておこう。

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