Sさんは、ネットで出会ったデンマーク人男性と結婚し、デンマークに移住した。それまでSさんは海外生活の経験はほとんどなく、語学も特別に堪能ではなかった。夫とは当初、英語でコミュニケーションを取っていたが、徐々にデンマーク語に切り替えるようになった。
現地での生活にも慣れてきたころ、Sさんは働きはじめることにした。
といっても、語学のハンデがあるため、現地の人と同じレベルで仕事を見つけるのは難しい。結局彼女は、日本食のレストランで働くことになった。
もともと真面目で責任感も強いSさんは、しっかりと仕事をこなし、すぐにみんなから信頼を得るようになった。店長からも強い信頼を得て、だんだんと彼女の存在なくして、店がまわらなくなるのほどになってきた。
デンマーク人の他の店員たちは、自分の勤務時間が終わると、たとえ仕事が中途半端でも、さっさと帰ってしまう。お客さんに対しても、サービスより自分の生活を優先するかのようだった。そこで、仕事のしわ寄せがすべてSさんにかかってきた。だんだんと彼女の仕事量は増えていき、周囲の人たちも、彼女に依存する度合いが増えてきた。
やがて店長がやり残した仕事まで、Sさんがやることになった。任されることに充実感はあったが、彼女の心には不満がだんだんと蓄積されていた。Sさんの仕事が増えていることに対して、周囲の人たちは、あたかも当然のように扱っていたからだ。
『私がこれだけみんなのために一生懸命に働いているのに、なんで私のことを理解してくれないの?』
Sさんは自分のやっている事を認めてもらい、できれば感謝の気持ちを表してほしかった。給料の問題ではなかった。
『デンマークのような個人主義の人たちは、あまりにも自分勝手すぎる。この人たちには、人の気持ちを理解する能力がないのだろうか?』
ある日Sさんは、すべての不満を夫にぶちまけた。
もともと真面目で責任感も強いSさんは、しっかりと仕事をこなし、すぐにみんなから信頼を得るようになった。店長からも強い信頼を得て、だんだんと彼女の存在なくして、店がまわらなくなるのほどになってきた。
デンマーク人の他の店員たちは、自分の勤務時間が終わると、たとえ仕事が中途半端でも、さっさと帰ってしまう。お客さんに対しても、サービスより自分の生活を優先するかのようだった。そこで、仕事のしわ寄せがすべてSさんにかかってきた。だんだんと彼女の仕事量は増えていき、周囲の人たちも、彼女に依存する度合いが増えてきた。
やがて店長がやり残した仕事まで、Sさんがやることになった。任されることに充実感はあったが、彼女の心には不満がだんだんと蓄積されていた。Sさんの仕事が増えていることに対して、周囲の人たちは、あたかも当然のように扱っていたからだ。
『私がこれだけみんなのために一生懸命に働いているのに、なんで私のことを理解してくれないの?』
Sさんは自分のやっている事を認めてもらい、できれば感謝の気持ちを表してほしかった。給料の問題ではなかった。
『デンマークのような個人主義の人たちは、あまりにも自分勝手すぎる。この人たちには、人の気持ちを理解する能力がないのだろうか?』
ある日Sさんは、すべての不満を夫にぶちまけた。
黙って聞いていた夫は、諭すように彼女に言った。
「周囲の人たちは、君が余分な仕事をしていることを、君が好きでやっていると思っているのだよ。だから感謝する必要はないでしょ」
そのひと言で、Sさんの世界観がガラガラと音を立てて崩れていった。
よく考えてみると、デンマークでは、社会的弱者や少数派への配慮は、日本よりも断然すすんでいる。個人を尊重するからこそ、みんなと違う人たちも同等に尊重するのである。街中で重い荷物を持っていると、見知らぬ人が当たり前のように、無言で手伝ってくれる。
相手に自分のルールを押しつけるのではなく、「本人が何をしたいのか」が優先され、それと社会のルールに折り合いをつけていくのである。それが彼らの「気遣い」であり、「やさしさ」となる。つまり、人が個として存在する根幹となる「個人の意思」への最大限の配慮なのである。だから自分の行動には、自分の意思が反映されていることが前提となる。
以上のエピソードには、もうひとつ大切な点がある。
海外に出た経験のある多くの日本人は、Sさんと似た経験があるかもしれない。しかしSさんの夫のような人と実際にコミュニケーションを取る機会がある人は、どれだけいるだろうか。もちろん友人でも構わない。要するに、文化の違いに戸惑いや疑問を感じたとき、それを率直にぶつけることができ、それに対して「彼らの弁明」をきちんと説明してくれる相手がいるか、ということだ。つまり、きちんとした「対話」の経験である。
文化人類学(イギリスでは社会人類学)では、20世紀初頭にポーランド人マリノフスキーが「参与観察」と呼ばれる、フィールドワークの手法を持ち込んだ。それまで人類学は、「机上の空論」的な要素が強かったからだ。マリノフスキーは、自らニューギニアのトロブリアン諸島へ足を運び、現地の言葉を学び、現地の人と同じ生活をすることで、現地の人々と同じ感覚で生活できるまで滞在をつづけた。
他の文化を真に理解するには、その文化の内側に同化する必要がある。他者の習慣を無意識に再現できるほど肌で感じられなければ、理解は表層的なもので終わってしまう。それは必ずしも、時間の問題ではない。たとえ何年も海外に住んでいても、ほとんどの時間を日本人と接し、日本のニュースやエンターテイメントを追うことに終始していたのでは、現地の文化を理解することは不可能だろう。
相手の文化の内側に入りながらも、外部としての視点を保つからこそ、その文化を客観的に分析できるのである。それは、日本を理解するために、日本のことだけを学んでも、日本を客観的にみることができないのと同じだ。
きちんとコミュニケーションできる相手と出会わなければ、「気が利かない欧米人とは付き合えない」などと、安易な結論で帰国してしまうのがオチだろう。身体は海外でも、頭の中は日本から出国していないのだから、日本以外のルールに適応できないのは当然だ。特に個人主義の世界を理解するには、対話が絶対に不可欠となる。それが一線を越えられるかの大きな鍵だ。
ただし、日本人の男性と女性で、一線を越えるハードルの高さは違う。
日本人女性の場合、たとえ語学ができなくとも、男は女性を獲得するために、いろいろと努力をしてくれる。だから最初は言葉が通じなくとも、結果として言葉を学び、生活習慣も学べる可能性が高い。
しかし日本人男性にとって、言葉が通じなければ、誰も努力して相手をしてくれない。ビジネスなどの、明確な利害関係がある場合は例外だが、それは所詮ビジネスの関係なので、相手も本音を出すことはない。その上、語学だけの問題ではない。普段からいろいろな事についてしっかりとした自分の意見がなければ、いくら語学を勉強したところで、相手との話題はすぐに無くなってしまう。
だから日本人男性で海外経験をしても、嫌になって帰国する人は少なくない。対話を経験せず、「あいつらとは理解しあえない」というレベルで帰国してしまう。とくに日本社会のエリートにありがちだ。そして「やっぱり日本が一番」と、内向きの発想になってしまう。それが劣等感の裏返しという自覚はない。
できれば学生として、早いうちに海外の経験を得たほうが、他の文化を理解できる可能性が確実に高くなる。学生同士ならば、話題がつづかなければ関係は継続されない。だからそこ、人間としての個人の魅力が問われてくる。
そんな環境で出来た友人ならば、どんなことでも話し合うことができる。お互いが自分自身をさらけ出し、時にはぶつかり合うことがあっても、それを認め合うことができるからこそ、本当の交流が生まれ、他の文化を理解できるのである。
盲目的で、排他的な愛国心ではなく、他の文化を肌で感じて心から理解するからこそ、自国を客観的に判断して心から愛することができるのではないだろうか。
日本を理解したいならばこそ、あえて海を渡り、彼らの習慣を学ぶべきなのだ。そうやって培ったものこそが、本当に健全な愛国心だと思う。
「周囲の人たちは、君が余分な仕事をしていることを、君が好きでやっていると思っているのだよ。だから感謝する必要はないでしょ」
そのひと言で、Sさんの世界観がガラガラと音を立てて崩れていった。
よく考えてみると、デンマークでは、社会的弱者や少数派への配慮は、日本よりも断然すすんでいる。個人を尊重するからこそ、みんなと違う人たちも同等に尊重するのである。街中で重い荷物を持っていると、見知らぬ人が当たり前のように、無言で手伝ってくれる。
相手に自分のルールを押しつけるのではなく、「本人が何をしたいのか」が優先され、それと社会のルールに折り合いをつけていくのである。それが彼らの「気遣い」であり、「やさしさ」となる。つまり、人が個として存在する根幹となる「個人の意思」への最大限の配慮なのである。だから自分の行動には、自分の意思が反映されていることが前提となる。
以上のエピソードには、もうひとつ大切な点がある。
海外に出た経験のある多くの日本人は、Sさんと似た経験があるかもしれない。しかしSさんの夫のような人と実際にコミュニケーションを取る機会がある人は、どれだけいるだろうか。もちろん友人でも構わない。要するに、文化の違いに戸惑いや疑問を感じたとき、それを率直にぶつけることができ、それに対して「彼らの弁明」をきちんと説明してくれる相手がいるか、ということだ。つまり、きちんとした「対話」の経験である。
文化人類学(イギリスでは社会人類学)では、20世紀初頭にポーランド人マリノフスキーが「参与観察」と呼ばれる、フィールドワークの手法を持ち込んだ。それまで人類学は、「机上の空論」的な要素が強かったからだ。マリノフスキーは、自らニューギニアのトロブリアン諸島へ足を運び、現地の言葉を学び、現地の人と同じ生活をすることで、現地の人々と同じ感覚で生活できるまで滞在をつづけた。
他の文化を真に理解するには、その文化の内側に同化する必要がある。他者の習慣を無意識に再現できるほど肌で感じられなければ、理解は表層的なもので終わってしまう。それは必ずしも、時間の問題ではない。たとえ何年も海外に住んでいても、ほとんどの時間を日本人と接し、日本のニュースやエンターテイメントを追うことに終始していたのでは、現地の文化を理解することは不可能だろう。
相手の文化の内側に入りながらも、外部としての視点を保つからこそ、その文化を客観的に分析できるのである。それは、日本を理解するために、日本のことだけを学んでも、日本を客観的にみることができないのと同じだ。
きちんとコミュニケーションできる相手と出会わなければ、「気が利かない欧米人とは付き合えない」などと、安易な結論で帰国してしまうのがオチだろう。身体は海外でも、頭の中は日本から出国していないのだから、日本以外のルールに適応できないのは当然だ。特に個人主義の世界を理解するには、対話が絶対に不可欠となる。それが一線を越えられるかの大きな鍵だ。
ただし、日本人の男性と女性で、一線を越えるハードルの高さは違う。
日本人女性の場合、たとえ語学ができなくとも、男は女性を獲得するために、いろいろと努力をしてくれる。だから最初は言葉が通じなくとも、結果として言葉を学び、生活習慣も学べる可能性が高い。
しかし日本人男性にとって、言葉が通じなければ、誰も努力して相手をしてくれない。ビジネスなどの、明確な利害関係がある場合は例外だが、それは所詮ビジネスの関係なので、相手も本音を出すことはない。その上、語学だけの問題ではない。普段からいろいろな事についてしっかりとした自分の意見がなければ、いくら語学を勉強したところで、相手との話題はすぐに無くなってしまう。
だから日本人男性で海外経験をしても、嫌になって帰国する人は少なくない。対話を経験せず、「あいつらとは理解しあえない」というレベルで帰国してしまう。とくに日本社会のエリートにありがちだ。そして「やっぱり日本が一番」と、内向きの発想になってしまう。それが劣等感の裏返しという自覚はない。
できれば学生として、早いうちに海外の経験を得たほうが、他の文化を理解できる可能性が確実に高くなる。学生同士ならば、話題がつづかなければ関係は継続されない。だからそこ、人間としての個人の魅力が問われてくる。
そんな環境で出来た友人ならば、どんなことでも話し合うことができる。お互いが自分自身をさらけ出し、時にはぶつかり合うことがあっても、それを認め合うことができるからこそ、本当の交流が生まれ、他の文化を理解できるのである。
盲目的で、排他的な愛国心ではなく、他の文化を肌で感じて心から理解するからこそ、自国を客観的に判断して心から愛することができるのではないだろうか。
日本を理解したいならばこそ、あえて海を渡り、彼らの習慣を学ぶべきなのだ。そうやって培ったものこそが、本当に健全な愛国心だと思う。
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コメントありがとうございます。
みんなでいろいろなことを、それぞれが違った視点で考えていきましょう!