新聞や雑誌、そしてテレビを、あなたはどの程度信頼しているだろうか。
ワールド・バリュー・サーベイでは、実際に上記の質問を世界各国のひとびとにたずねている。そして日本の結果は、以下であった。
新聞や雑誌を信頼しますか
1: 非常に信頼する 7.6%
2: やや信頼する 67.0%
3: あまり信頼しない 23.4%
4: まったく信頼しない 2.0%
テレビを信頼しますか
1: 非常に信頼する 8.5%
2: やや信頼する 61.1%
3: あまり信頼しない 28.1%
4: まったく信頼しない 2.4%
結果をまとめると、新聞や雑誌を「非常に」または「やや」信頼している日本人は74.6%、「やや」もしくは「まったく」信頼していないのは25.4%である。また、テレビを「非常に」もしくは「やや」信頼している日本人は69.6%であり、「あまり」もしくは「まったく」信頼していないのは30.4%である。
この結果は他の先進諸国と比べて、メディアを信頼している割合が圧倒的に高い。
日本と同様にメディアを高く信頼している国は、韓国、香港、中国、ベトナムなどのアジア各国と、ヨルダンやエジプトのイスラム教国、そしてマリやガーナのアフリカ諸国である。
その一方で、オーストラリアでは88.5%の人が新聞や雑誌を信頼していないと回答し(「あまり信用しない」と「まったく信頼しない」の合計)、テレビを81.8%が信頼していない。アメリカでも76.1%が新聞や雑誌を信頼せず、テレビも74.7%が信頼していない。その他のヨーロッパ諸国でも、少なくとも6割以上の人がメディアを信頼していない。
7割前後の人がメディアを信頼している日本とは、非常に対称的な違いである。
あなたの情報源は?
ワールド・バリュー・サーベイでは、メディアについて次の質問も調査している。
「自国や世界のことを知る情報源で、先週利用したものはどれか」
日本の結果は、以下となった。
A: 新聞 90.1%
B: ラジオやテレビのニュース 97.6%
C: 雑誌 36.3%
D: ラジオやテレビの報道番組 93.8%
E: 本 27.3%
F: インターネット、電子メール 45.9%
G: 友人や同僚との会話 69.4%
日本を含めた先進国のほとんどは、新聞もしくはラジオやテレビのニュースが90%から95%を超えるほどの主な情報源となっている。
それに対して途上国では「新聞」と回答した割合が、ルワンダで9.8%、エチオピアで52.9%と、国によってばらつきがある。これは各国における新聞の普及率と密接に関わっていると推測できる。そしてテレビやラジオでは、一番少ないインドでも61.3%であり、53ヶ国の平均は87.6%と、回答項目の中で最も多い数字となった。
確かに、電気も通っていないアフリカの奥地でも、小型のラジオでニュースを聞く人をたびたび見かけたことがある。乾電池で動くラジオは低価格だけでなく、最も早く情報を入手できる手段として広く浸透しているのだろう。
雑誌や本については、ラジオやテレビに比べると情報伝達のスピードがどうしても劣ってしまう。そこで日常の情報源としては、雑誌や本を活用される度合いが低くなっている国が多い。またインターネットについては、ノルウェーやスウェーデン、そしてアメリカ合衆国などでは70%前後と、雑誌や本よりも頻繁に使われている国も少なくないが、平均的には雑誌や本と同程度の利用頻度である。これはネット人口が年齢によってばらつきがあることが関係していると推測できる。そこで今後は、さらなるネットの普及や回線の高速化が進むにつれてネット人口が増加し、インターネットで日常の情報を得る割合が多くなることは予測できる。
しかしここで注目すべき項目は、「G:友人や同僚との会話」が、日本では69.4%と比較的に少ない点である。中国では43.8%、台湾が50.2%、韓国が71.8%と、東アジアは相対的に少ない。その一方でスイスやスウェーデンのヨーロッパ諸国では90%を超えている国がほとんどである。
つまりヨーロッパでは、友人や同僚との日常会話の中で、新聞やテレビのニュース内容と同じことが頻繁に話題に上がっているのに対して、日本をはじめとするアジアでは、友人や同僚とあまり社会的な事件を話さないという傾向を示している。
この結果を見るかぎりでは、東アジアでは欧米よりも会話自体の頻度が少ないのか、それとも会話は頻繁に行っているが、ニュースなどの事件や出来事についてあまり話をしないのか、どちらかを判定することができない。
しかし私の個人的な経験からすると、日常会話でいろいろな社会問題を語る機会は、日本と比べて欧米ではとても多い。学生から社会人まで、職業も関係なく、欧米の人々はいろいろな分野にわたって深く掘り下げた対話をよくしている。それはランチの席上であったり、また夕食後に時には数時間にもわたって、たとえば「移民を受け入れるべきか」について、侃々諤々と議論に発展したりすることもある。
真っ向から対立する意見の時には声を荒げることもあるが、それはすべてコミュニケーションの一部であり、意見の対立によって人間関係が悪化することはない。なぜならば、彼らはそういった議論のすすめかたを学生時代から授業なども含めて学んでいるからだ。その延長線上で、友人や同僚とも気軽に政治や社会問題についての意見交換が頻繁になされている。
その一方で、日本では社会問題がふだんの生活で話題にのぼることはきわめて少ない。ましてや友人や同僚と夕食をしている最中に、たとえば「日本でも移民を受け入れるべきか」などと、数時間にわたって真剣に議論したことのある人はほとんどいないだろう。
反対意見を出し合って対話を進めるというコミュニケーションのやり方が、社会全体で否定的なイメージにとられていることが、日本における対話の少なさの大きな原因なのかもしれない。
もうひとつ注目すべき項目は、「D:ラジオやテレビの報道番組」の結果である。日本では93.8%の人が報道番組から情報を得ていると回答しているが、これは53ヶ国中で圧倒的に最大の割合である。欧米諸国では60%から80%程度と国によってばらつきがあるが、90%を超えている国は日本しかない。
報道番組と、新聞もしくはラジオやテレビのニュースでは、情報源としての決定的な違いがある。ニュースは基本的に事件などの客観的な事実を伝えるだけなのに対して、報道番組はキャスター等が事件に対する主観、つまり制作者の意見が反映されやすい。それは報道番組をつくる過程で、特定の事件を長期的に取材することで、報道する側が事件に対する一定の見解をつくりあげるという性質があるからだ。
もっとも、こういった報道番組によって多種多様な意見が生まれることは、社会にとって必ずしも悪くはないだろう。報道番組のスクープによって、社会が変革することもある。第3の権力といわれるメディアが権力を監視する機能として、報道番組は最適であるかもしれない。そこでむしろ、これは健全な社会の証拠であるといえるかもしれない。
しかしながら、ここで冒頭の調査結果を思い出してもらいたい。日本人の74.6%がテレビを信頼しているという事実である。6割以上の人がメディアを信頼していないと回答している欧米諸国とは、状況が大きく異なっている。
友人や同僚から情報を得るならば、そのときに何らかの意見を交換する機会があるだろう。しかし日本では、友人や同僚が情報源としてあまり大きな役割を果たしていない。そして報道番組から発信される情報は、発信者との意見交換ができない一方通行である。
ましてや、視聴者の7割がメディアを信頼しているのであれば、報道番組の意見をそのまま自分の意見として受け入れてしまう人が大多数に及んでいる可能性が高いことになる。それはメディアの報道次第で、世論がどうにでも動いてしまうという、ある意味、非常に危険な社会ともいえるだろう。
メディアの信用度が高い国が、アジア各国やイスラム教国というのは、決して偶然ではない。
中学生の頃、国語教師から「テストに出題される可能性があるから朝日新聞の「天声人語」を読みなさい」と言われたことがあります。
返信削除何故、教師は地元の新聞(当時の私の住まいが宮城県)である河北新報の「河北春秋」や読売新聞の「編集手帳」ではなく朝日新聞だったのかはおいといて。。。
学生の頃の私たちにとってそれは「朝日新聞は正しい!」という道を示されたものでした。
しかしマスコミは非常に資本主義的で事実を伝えるということに対しては少し?歪んでいるように思えます。
国内では広告代理店の「一業種一社制」の無視に始まり、メディアにおけるクロスオーナーシップ。
スポンサーに有利な情報がピックアップされた記事や番組が制作され続け、しまいには国営放送までもがウソをつく始末。
結果TVや新聞を主な情報源にしている人たちは歪んだ情報を事実と捉えていることでしょう。
私たちが出来る事は、情報を徹底的に調べたり多角的に観察したり議論することが必要なのだと思います。
天声人語は、私も小学校6年生の時に、夏休みの自由課題のひとつとして毎日ノートに書き写しました。たぶん文章すべてを正確に理解していなかったとは思いますが、とりあえず写経のようにやっていたことを覚えています。暗黙のうちに、天声人語が権威となっていたのだと思います。
返信削除>私たちが出来る事は、情報を徹底的に調べたり多角的に観察したり議論することが必要なのだと思います。
本当にその通りだと思います。意見が違うことや批判したり、されることを「良いこと」だと認識して、もっと対話ができる社会になっていかないと、こういったメディアによる一方的な世論形成は無くならないでしょうね。