ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン教授は、かつてこう語っている。
「社会が発展する意義は、個人の選択の自由を広げることにあり、豊かさはその次である」
いくら豊かになろうとも、個人に自由がなければ意味がないということだろう。
それでは実際に、人々がどの程度の自由を感じているか、尋ねてみたらどうなるか。
ワールド・バリュー・サーベイでは、世界中の人々を対象に、次の質問をしている。
「あなたの人生には選択の自由と、自らの意志を反映できる人生がどの程度ありますか」
さて、日本人はどの程度の自由を感じているのだろうか。
回答は1から10までの度合いで、1が「まったく感じられない」、10が「非常に強く感じる」というスケールで評価されている。2005年に行われた調査では、日本人の平均は6.1であった。これは56ヶ国中49位であり、厳格なイスラム国家のイラン(7.1)や、飢餓と貧困で世界から注目されることが多いアフリカのエチオピア(6.2)よりも低い。ちなみに最下位はイラク(5.4)とモロッコ(5.3)である。
世界の中でも、日本人がこれほど自由と感じていないとは驚くべきことである。
それでは、世界で最も自由と感じている国はどこだろう。直感的には、やはり北欧を中心とする北西ヨーロッパではないかと思う人のではないだろうか。実際の結果は、以下の通りである。
1位 メキシコ(8.4)
2位 コロンビア(8.0)
3位 アルゼンチン(7.9)、トリニダード・トバゴ(7.9)、ニュージーランド(7.9)
3位以後は、スウェーデン(7.8)やフィンランド(7.8)の北欧勢が追随しているが、肩を並べるようにウルグアイ(7.8)、ブラジル(7.7)と、やはり上位をラテンアメリカ勢が占めている。
フリーダムハウス
「自由」について本人に尋ねた調査であるワールド・バリュー・サーベイとは別に、各国の自由度を客観的に調べている機関がある。
アメリカに本部をおくNGOフリーダムハウスは、世界192ヶ国の「政治的自由」と「市民的自由」というふたつの指標から「世界の自由度」を発表している。
政治的自由度とは、どれだけ自由に政治的活動ができるかであり、市民的自由度とは、表現や信仰などの個人の自由を基準にしている。それぞれが1から7までの数字で表され、
「1(政治的自由)-1(市民的自由)」
が、最も自由度が高いことを示す。結果をみてみよう。
政治的自由と市民的自由の両方が「1-1」と、最も自由度が高い国は、欧米諸国ではギリシャを除いたすべての国だった。
東欧では、バルト3国、ハンガリー、ポーランド、スロバキア、スロベニア、中南米では、バハマ、バルバドス、チリ、コスタリカ、ドミニカ、ウルグアイ、そして小さな島であるカーボベルデ、キリバス、マーシャル諸島、ミクロネシア、ナウル、パラオ、ツバルが、「1-1」と、最も自由度が高い。
日本はギリシャと同じで、「1-2」であった。
ワールド・バリュー・サーベイで最も自由だと回答していたメキシコは「2-3」、コロンビアは「3-3」、アルゼンチンは「2-2」、ブラジルは「2-2」と、ある程度の自由度は維持しているが、欧米諸国に比べると客観的な自由度は低い。そして「7-7」と、世界で最も自由度の低い国は、ミャンマー、キューバ、リビア、北朝鮮、ソマリア、スーダン、トルクメニスタン、ウズベキスタンだった。そして中国とサウジアラビアは「7-6」、イランとイラクは「6-6」であった。
フリーダムハウスの調査は、ワールド・バリュー・サーベイと比べてみると、とても興味深い比較ができる。
まずラテンアメリカ諸国が、客観的な自由度よりも高い自由を感じていることである。日本については、客観的な制度としての自由度は高いのだが、人々は実際に自由を感じていない。またそれとは反対に、イランやサウジアラビアでは、客観的な自由度が世界で最低レベルであるのにもかかわらず、そこに住む人々は、日本よりも自由だと感じている。
たとえ環境としての自由が整備されていても、そこに住んでいる人が自由を感じていないのならば、その社会は窮屈に感じるだろう。ラテンアメリカの幸福度が高いこと、そして日本の幸福度があまり高くないことと、無関係ではないはずである。
さて、それでは日本人はなぜ、それほどまでに自由を実感じていないのだろうか。
次回から、もうすこし掘り下げて考えていきたいと思う。
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