2010年7月1日木曜日

幸福度の調査は、本当に無意味か?

最近、「幸福度」についての話題が目につく。
日本の科学者は主要国で最も不幸せ--。こんな調査結果を、英科学誌ネイチャーが初めてまとめ、24日付で発表した。満足度1位はデンマークだった。日本人は他国に比べ、休日が少なく研究テーマの選択で裁量が小さいとして強い不満を抱いていた。科学技術立国を掲げる政府だが、科学者が将来の展望を抱けるような政策が求められそうだ。
http://mainichi.jp/select/science/news/20100624k0000m040127000c.html

そして、反論としてかならず出てくるのが、次のようなものだ。
「幸福度という主観的なものを、国民性の違いを無視して比較しても意味がない」

さて、はたして本当に幸福度の調査には意味がないのだろうか。

幸福度調査というのは、本人に直接「あなたはどの程度満足していますか」とたずねることである。日本人は外国人よりも謙虚だから、そういった点を考慮しなければいけないという理屈は理解できる。しかし、いくら謙虚さが美徳であると感じている国民でも、
「あなたはどの程度、いまの生活に満足していますか?」
という質問に対して、内心では10段階で10の満足だと感じているのに、わざわざ8とか9、もしくはもっと低い数字をアンケート調査の紙に書き込む、などという状況がありうるのだろうか。
ちょっと穿った見方をすれば、日本人の幸福度が低いという結果を正当化するために、無理やりこじつけられた理由のように聞こえてしまう。

するとここに、2つの段階にわたって疑問が残る。最初の疑問は、
「日本人は自己の満足度を正しく表現しないのではなか」という仮定に対する、そもそもの信憑性である。この仮定を検証する方法を見つけるのはなかなか難しい。しかし少なくとも、この仮定を何の疑問もなしに受け入れる理由はない。この件に関しては、関連する調査結果がでることを待たねばならない。しかしながら、次の段階を考えることで、この問いに対する一種の方向性を見出すことができる。

そこで次の段階として、もしも「日本人は自己の満足度を正しく表現しない」ということが証明されたと仮定してみよう。これはつまり、日本という文化が、「満足していても、それを表現することはよくない」もしくは「幸せでも、幸せであることを見せてはいけない」という風潮があることになる。これはあくまで仮の話だが、もしも日本人にとって、自分の満足状態や幸せを正しく表現することに抑圧的なプレッシャーがあるならば、これは幸福度調査の信憑性などよりも、もっと根本的な、違う次元の問題が発生してくる。

人の喜びや、充実した感情を表に出すことをはばかることは、個人の感情表現を抑圧するのと同じである。本当は幸せなのに、本人がそれを表現できなければ、それは本当に幸せだと言えるのか、甚だ大きな疑問がのこる。

笑いたいときに思いきり笑うことができず、楽しいときに楽しいと表現することもできないならば、そのうちに笑いや楽しみも半減してしまうだろう。心の底から嬉しいときに、その嬉しさを表現しなければ、嬉しいという感覚も鈍感になってくる。自己表現を奪われてしまった心は砂漠のように乾きはて、潤いが宿ることを拒絶するだろう。文化や伝統という名のもとに、個人の満足感を表現することさえ抑圧されてしまうのであれば、そのような習慣を存続させる意味自体が大きな疑問だ。


日本では、「常識」や「世間体」という見えない権威によって、人々が束縛されている実情がある。そこでもしも、本当は「非常に幸せ」だと自分では感じているのに、アンケート用紙の「非常に幸せ」にチェックをすることにためらわせるようなプレッシャーがあるならば、その背景には「幸せであると他人に告げることは控えなければならない」か、もしくは「幸せになることはよくない」という社会的圧力が働いているはずである。

つまり社会が個人の自己表現を抑圧しようとするか、もしくは幸せになること自体を悪とするかの、どちらかでなければ、生活満足度や幸福度の自己評価を一律に国民全体で低く見積もるという事実にはならない。もしも社会が、幸せになることを悪とするか、もしくは幸せだと表現することがよくないと抑圧しているならば、そのような社会は「幸福な社会」とはほど遠いことになるだろう。

つまり「日本人は満足していても満足だと表現しない」という仮定が真実であろうがなかろうが、いずれにしても、日本人の幸福度が低いことに変わりはないだろう。したがって、主観的な満足度を調査することは非常に有効な手段であると考えられるが、どうだろうか。



1 件のコメント:

  1. 人として又人らしく現在生きていて物心両面に於いて充足感を得られていれば幸福感の度合いも高くなるでしょう。国によって人々に影響を与える重要なのが教育環境に因りどれだけ今の生活に幸福を感じているか、未来に希望を持って生きていけるかが大きな要因であると思います幸福とは形として表現することは難しいことです。たとえ経済的に貧しくても、幸せ感を感じている人達の数も多いことでしょうし、反対に経済的に豊かで有っても心が満たされない生活を送っている人たちも居ます。幸福感をどのように形として表したら一番的確なのか其の方法によっても幸福の度合いに差が出てくるので非常に難しいことでは困難さが伴うのではと私は思います。今の生活に十分に満足感を感じていれば幸福なのではないでしょうか人間も動物ですからどうしても他人と自分の生活状態を比較してしまうのはごく当たり前なことで、幸福度数というのは非常に曖昧な数字なんだと感じます。もし数字で比較することができる事が出来る方法が出来れば別ですが。

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