先日、「未来のグローバルリーダーを育成」している学校で、講義をしてきた。
講演内容はこちら
高校時代からの同級生、福原正大氏が学院長を務める、IGS(Institution for Global Society) だ。
簡単にいうと、世界の大学で通用する学生を育成している。(関連記事はこちら:第四の開国~ハーバード大学と東京大学の二兎を追え)
海外留学の支援というと、TOEFLやSATなどのテストを指導する塾と思われがちだが、こちらでは哲学的な思考や、英語でのディスカッション等を中心として、日本人が苦手となりがちなスキルを磨くことが主となっている。
学院長の福原氏自身、外資系の金融機関で取締役を歴任しただけでなく、フランスの大学院(INSEAD、グランゼコールHEC)などを卒業しているバリバリの国際派である。(福原氏のプロフィールはこちら)
金融機関でカネだけを追いつづける世界から、まったくの別世界である教育に参入した福原氏の心情には、私としても共感できるところが大いにある。
欧米の社会で、日本人が個人として存在感を発揮することは非常にむずかしい。しかしそれは、日本の教育によって個人が抑圧されている結果にすぎない。ならば、もっと個人を尊重する教育をすればいいだけの話だ。
日本には日本のやり方がある、という意見もあるだろう。欧米のマネをする必要などない、と考えるひともいるかもしれない。
しかし、個人が自立して自由を獲得していくことは、欧米でも一般化しはじめたのは19世紀以後の話だ。そして世界の歴史の流れとして、人類が普遍的に追い求めている傾向があることは間違いない。
古今東西、個人を抑圧しつづけて繁栄した社会は存在しない。
そして、個人を抑圧する社会では、その個人の満足度・幸福度が低いという結果もある。(参照:幸福途上国ニッポン)
リーダーとは、必ずしも集団のトップである必要はないと思う。
自分が自分であることに誇りと責任をもつことが、リーダーとしての一番重要な要素ではないだろうか。
そして何よりも、まず最初に、自分が自分のリーダーであることだろう。
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2011年11月11日金曜日
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「個人が自立して自由を獲得していくことは人類が普遍的に追い求めている傾向」
返信削除「必ずしも集団のトップである必要はない。自分が自分のリーダーであること」
まさにその通りだと思います。