2010年10月16日土曜日

哀愁と喧噪のブエノスアイレス

夜中の12時を過ぎるころ、ようやく会場では活気が生まれてくる。センチメンタルなメロディーに、鋭いスタッカートの効いたタンゴの旋律が、高い天井でこだまする。

上半身をぴたりと寄せ合った男女の群れは、楽曲のパートでも演じるかのように、ダンスフロアをゆっくりと反時計回りにながれていく。若い女性と白髪の男性。年配の女性と若い男性。十代のカップル。長年連れ添ってきた老夫婦。

それぞれの男女が、それぞれの思いを込めて、「数分間の恋」という悦にいる。

南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、人生を謳歌する者に、年齢や性別、そして時間も制約しない街である。ミロンガとよばれるタンゴを踊るサロン、そして若者の群れ集うクラブでは、平日でも早朝まで、毎晩活況に満ちている。

劇場や映画館は人であふれ、レストランやバー、そして街角のカフェでも、あらゆる年代がその時間を満喫する。東の空がうっすらと明るくなる午前5時、まだ平日というのに、ブエノスアイレスの活力に衰えは見えない。

「南米のパリ」と称されるブエノスアイレスは、アールヌーボー様式の影響を受けた建物が並び、奇麗に区画整理された市街の街路樹は、緑であふれている。一瞬、パリかと錯覚するほどだ。これほどヨーロッパ的な都市は、他の南米諸国にはない。

スペインに次いでイタリアからの移民も多く、生パスタを製造・販売している家族経営の小さな店舗を街のあちこちでよく見かける。また多くのレストランでは、年季の入った石窯を使い、薪で焚いたあつあつのピザが定番だ。そしてアルゼンチン人の話すスペイン語も、リズミカルなイタリア語のなまりがとても強い。

アルゼンチンはワイン大国でもある。生産量がフランス、イタリア、スペイン、米国に次いで世界第5位という事実はあまり知られていない。

アルゼンチンワインの特徴は、豊潤な香りを持つ赤ワイン「マルベック種」だ。しかし生産される9割以上は、国内で消費されている。7割を輸出している隣国チリとは、とても対称的ともいえる。

そしてアルゼンチンの人々は、週末になると友人や家族で集まってバーベキューを楽しむことが伝統となっている。もちろん100%アルゼンチン産の牛肉だ。おまけに鶏肉よりも値段が安い。このような牛肉中心の食文化が、アルゼンチンの旺盛なワイン消費を支えている。

世界を長年旅していた私は、ブエノスアイレスで一年ほどの時を過ごした。中南米では必要不可欠なスペイン語を学びながら、アルゼンチンタンゴをたしなんだ。

そんなある日、私はいつものようにローカルバスで市内を移動していた。荒っぽい運転で有名なブエノスアイレスのバスは、急発進や急加速が当たり前で、乗車中はどこかにしっかりとつかまっていないと車内で転げ回ることになる。

前席の背もたれにあるパイプを右手で握りながら座っていた私の近くに、白髪のおばあさんが乗り込んできた。私はすぐに席を立ち、おばあさんに私の席をすすめた。するとおばあさんは無言で、あたかも当然のように私の席に座った。

「ありがとう」のひと言もなければ、笑顔のかけらもなかった。

ブエノスアイレスの公共交通機関では、年配者は乗車すると真っ先に若者の座る席に近づき、若者たちは当たり前のようにその席をゆずる。そこには、ほとんど会話のやりとりはない。

若者はそそくさと席を立ち、年配者たちはまるでそこに自分の名前が書いてあるかのように席につく。「優先席」という表示はどこにもないが、実質的にはすべての座席が優先席なのである。

そして当たり前のことが当たり前のように行われているだけなので、多くの人にとって、ゆずってくれた人に感謝をするという発想すらないようである。


ブラジルに次いで南米で2番目に大きな領土を持つアルゼンチンは、かつて世界有数の富裕国だった。ただし、それは100年前の話である。

当時アルゼンチンのひとり当たりGDPは、同じ時期の日本の2倍もあった。しかし現在のそれは、今の日本の半分以下となっている。第二次大戦後の、産業構造が変化していく世界に取り残されたという大きな潮流の中、軍部のクーデターによる政権闘争が1980年代前半までつづいたこと、そしてたび重なる経済政策の失敗が追い打ちをかけ、アルゼンチン経済は衰退の一途をたどった。

2001年にはとうとう政府が破綻し、翌年の失業率は25%まで跳ねあがった。そのため多くの国民は職を求めて、スペインやイタリアへ渡っていった。

近年では失業率が9%を割るまで低下してきているが、隣国ブラジルのような新興国の勢いはない。そもそもアルゼンチンは発展途上の国ではなく、ありし日の繁栄の面影を残す、衰退途上の国なのかもしれない。

アルゼンチンは、中南米諸国に特有の貧富の差が非常に大きい。治安については、ブラジルやベネズエラほどの凶悪犯罪は多くないが、窃盗や汚職などは日常茶飯事である。

海外からアルゼンチンへ郵便物を送ると、きちんと手元に届く可能性は非常に低い。また国際空港でも、乗客が預けた荷物を空港の従業員が盗む事件などは毎日のように起きている。これまで何人も逮捕者が出ているが、どうやら大きな犯罪組織が裏に絡んでいるため、警察も癒着関係にあるようだ。

ちなみに、各国がどのくらい腐敗しているかを調査するNGO「トランスペアレンシー・インターナショナル」によると、アルゼンチンの腐敗認識指数は175ヶ国中105位と、世界的に見ても腐敗度が非常に高い。(注:腐敗度の少ない国が上位となる。日本は17位。1位はニュージーランド、2位デンマーク、3位スウェーデン)

このような統計上の数字を見ていくと、アルゼンチンの問題点を探すのはとても簡単だ。しかし、ひとつだけ注目したい事実がある。それは、アルゼンチン人の幸福度が、日本人よりもかなり高いということである。そしてこの事実は、ラテンアメリカ全般にも共通している。

日本の半分以下の富しかなく、日本よりも格段に大きい貧富の格差があり、治安も悪く、失業率も慢性的に高く、そして社会全体にどうしようもないほどの腐敗がはびこっている。そんな社会に住む人々が、日本人よりも幸せだと言っているのである。いったい、これはどういうことなのか。

ラテンアメリカの謎については、これから解明していくことにしよう。しかし少なくとも、ここでひとつだけ言えることがある。

私が出会った数多くのアルゼンチンの人々は、年齢や性別に関係なく、それぞれが人生を楽しむ術を知っており、それを実現することに躊躇しないことである。

彼らの実感している幸せに、決して偽りはないだろう。

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