まず、緊急避妊薬について、以下のような記事があった。
ここで注目したいのが、「慎重論」と、「容認論」の立場の違いである。厚生労働省の薬事・食品衛生審議会医薬品第1部会は26日、避妊に失敗したときなどに服用し、望まない妊娠の可能性を下げる緊急避妊薬ノルレボ(成分名レボノルゲストレル)について、製造販売を承認しても差し支えないとする意見をまとめた。同省は12月上旬まで一般から意見を募り、同下旬の薬事分科会で最終結論を出す予定。ノルレボは女性ホルモンの一種である黄体ホルモンの製剤で、医師の処方により性行為後72時間以内に1回服用。排卵の抑制などで妊娠を80%以上抑える効果があり、欧米など48か国で承認されている。国内では製薬会社「そーせい」(本社・東京)が昨年9月に承認申請していた。性行為後の避妊薬を巡っては、安易な使用を招き、性感染症も予防できるコンドームの普及を阻むといった慎重論がある。その一方で、女性の心身を深く傷付ける人工妊娠中絶を避けられるようになるとして、医師らが導入を要望していた。(2010年11月27日13時05分 読売新聞)
慎重派は、緊急避妊薬が性行為後に使用するものなので、
コンドーム普及率低下=>性病の蔓延=>社会的コスト高
というロジックだろう。これは、最大多数の最大幸福をとなえる「功利主義」と考えることができる。
その一方で医師による容認派は、
緊急避妊薬の普及=>中絶が減る=>女性の心身の保護
であり、これも一見すると功利主義という印象を与える。つまり、結果として女性をはじめとする社会全体の幸福度が上がるという発想だ。たしかに功利主義的な側面もあるだろうが、もうひとつ、読売新聞の記事では触れていない点がある。それは、「女性の選択肢を増やす」という事実がふくまれていることである。
人工妊娠中絶が合法である日本では、中絶の是非については社会問題となっていない。しかしアメリカでは、「生命」をどう定義するかという意味で、中絶を「殺人」と考える人びとが中絶を反対している。反対派の一部には過激な人もおり、中絶をしている病院の医師を射殺するという事件までおきている。それに対して容認派は、「中絶は女性が選択する権利」であると主張する。これは個人の自由を尊重する「リベラル派」と呼ばれている。
つまりリベラル派からすると、緊急避妊薬を容認することは、女性が「妊娠するかしないか」という選択を自ら得ることになる。
販売の容認を要望している医師たちが、実際にリベラル派として「女性の権利」を念頭においていたかどうかはわからない。便宜上、「社会全体の利益につながる」という功利主義的な説明で主張したほうが、「個人が選択する権利だ」と説明するよりも、厚生労働省の官僚に受け入れやすいという現状もあったのかもしれない。
いずれにせよ容認されれば、結果として女性の選択肢が広がることは間違いない。
それでは、慎重論に対して、リベラル派はどのように反論するだろう。
個人の自由を最大限に尊重し、個人に対して政府の関与は最小限にするべきだと考える「リバタリアン(自由原理主義者)」は、
「コンドームを使おうと使うまいと、政府に言われる筋合いはない!」
と憤るだろう。自分の体の所有者はあくまで自分であり、たとえ性病になったとしても、それは自分の責任だということだ。
それに、そもそも緊急避妊薬があるからといって、エイズや他の性病を心配しなくなる、などということになるのかという疑問もある。仮にそのような人がいたとしても、そんな愚かな人のために、女性が選択する権利を奪う理由になるのか、という意見にもなる。
それに対して、慎重論はどのように反論できるか。
容認されることで、どの程度の性病患者の増加が予想でき、それがどの程度の社会的コスト増になるか、といった試算を示すぐらいだろう。しかしながら、そういった試算は、「女性の心と身体」に与えるコストも考慮しなければいけない。そしてそのコストは、現代社会では非常に大きいはずだ。
うーむ。やはり、どう考えても、容認する道しかないだろう。それが功利主義であっても、リベラルであっても。
いや、コンドームの販売減を心配する関連企業と、中絶で儲けている医者は反対するかもしれない。彼らにとって社会的な「正義」は関係ないからだろう。
「ゆるく哲学」、参加できずに残念です。
返信削除次回は参加できるようにしたいです。
セオリさん
返信削除次回は是非、参加をお待ちしてます!