2011年10月26日水曜日

成田国際高校での講演

昨日、千葉県立成田国際高校の2年D組で、5,6時間目の授業中に講演をしてきた。

私の中学時代の同級生、組田幸一郎氏が英語を教えている学校だ。組田氏とは、バスケットボール部で一緒に汗を流した仲間でもある。

ちなみに組田氏は、英語教師をしながら、英語教育に関する書籍をすでに7冊も出版している。そんな彼のブログのタイトルは英語教育にもの申すだ。

彼とは最近、25年以上ぶりに再会し、今回私が講演することとなった。

「話が面白くなかったら、生徒が寝てもいいから」

と、講演の内容について私が半分冗談で言ったら、なんと彼はそのまま生徒に伝えてしまった

「いつも僕の授業では絶対に寝させないんだけど、今回『寝てもいい』なんて言ったから、生徒は相当期待してるよ。よろしくね」

と、数日前に言われた。そして授業は午後の一番眠くなる時間すごいプレッシャーだ。自分が高校時代の頃を思い出し、眠くなかった授業を思い出しながら、話を組み立てるしかない。

そのうえ、生徒の保護者も何人か来ることとなった。さらなるプレッシャー・・・

さて、当日。

最初の5分が勝負だろうと思い、インパクトのある世界の写真を見せて、「ここはどこでしょう?」ではじめた。そして、現地で私がアホなことをやっている写真を織り交ぜた。

たぶんあまり馴染みのない中南米とアフリカが中心だ。ボリビアのウユニ塩湖、イースター島、ガラパゴス諸島、アフリカ各地の動物。なかなか食いつきはいい。

15分経過し、まだ寝てる生徒はいない

次ぎに自己紹介を兼ねて、私が最初に海外に興味を持った経緯などを話す。高校時代の未知との遭遇だ。

あ、ひとり寝だした。

でも前列を陣取った男子生徒たちの目はまだまだ生きてる。

パキスタン、アフガニスタンの話から、アメリカの入国審査で私がアルカイダに疑われたエピソード等を紹介。

おお、もうひとり寝だした。

5時間目が終了し、休憩をはさんで6時間目に突入。



後半は、日本人と海外のひとびとの生き様の違いを、ゆるく説明しながら「幸せとは?」という、私の得意分野に話をもっていく。


あれ、またひとり寝てるよ。

でも、一番後ろに座ってる2人の保護者は、「うん、うん」うなずいてくれてる。

最後は、私の熱いメッセージで終了。

組田氏いわく、あの時間で他の科目だったら、もっと寝ていても不思議ではないとのこと。まあ、上出来としよう。


講演の終了後、保護者も含めて生徒から、以下の感想をもらった。
41人全員の全文を掲載するのは無理なので、いくつか部分的に抜粋します。

「堅苦しい話を長々とされるのかと思っていましたが、世界各国の動物や、人や、場所や、その他にたくさん楽しいことを聞けて(見られて?)よかったです」

「私にはたくさんのなやみがあって、(中略)そのために今、勉強しています。しかし目崎さんの経験したお話を聞くと、私にも道はたくさんあるんだなと思わせてくれました」

「最初は眠くなるんだろうなあと思っていたけれど、話を聞いてみると、とてもおもしろい話で、夢中になってしまいました」

「途中寝ちゃったけど、すごくおもしろかったです」

「スライドショーの写真で、地球温暖化問題や貧困問題など、世界中にあふれている様々な問題を身近に、そして重く感じることができました」

「ああ、やっぱり(組田)先生の友達なんだと思いました」

「思ったより声が高かった」

「これまでは外国には行きたくないと思っていましたが、今日の話を聞いて、行ってみたくなりました」

「一番強く印象に残ったのは、英語ができるようになったら、日本語ができることが強みになるということです。(中略)とりあえず、自分で何をやるかを決めて、毎日頑張るということを学びました。私も世界で必要とされるような人になりたいと思います」

「これからの進路のこと、すごいなやんでいて、今も悩んでいるけど、本当にしたいことを職業にしたいと思った」

「今、好きなもの、したいこと、夢がある自分は幸せだと思った」

「俺も将来いろいろなところにいって、いろいろなものを感じ、面白い大人になりたいです。自分にウソをつくなと言われて、めっちゃひびきました」

「自分の今後の人生を深く考えたくなる話だった」

「今までの世界観の小ささに気付きました」

「英語をはじめ、世界についてもっと知りたいと思ったし、また世界だけでなく、日本や自分自身を改めて、今日挙がっていたような『自分に正直になる』という見方から見直してみたいと思った」

「私も、自分の好きなことと得意なことが一致するような将来の仕事をみつけたいなと思いました。そして今から、英語と読書を、まねしてやりたいと思いました」

「普段の生活じゃわからないような話をきけて、すごく面白かったです。新しい発見?みたいなのがあって、なんだか新鮮でした」

「短い時間だったけど、たくさんのことを学べました」

「世界を旅したくなった。夢を真剣に考えたくなった」

「自分の好きなことをみつけて、自由にやりたいと思った」

「幸せについて考えてみようと思った」

「周りの目や期待を気にするのではなく、自分の好きな事を結果はどうあれ、一生懸命にやればいい、という言葉がすごく心に響いた。それは今の学校生活でも、これからの人生においても自分のベースになる大事なことだと思う」

「私の考えが少し変わった」

「この地球上にある美しい景色は、いつか自分の目で見たいと思っています」

「世界には私たちの知らない美しい風景があるのだと思い、ますます世界に興味がわいてきました」

「目崎さんが拘束されたと聞いて、人生においてそういう武勇伝みたいなものが欲しいと思った」

「この機会をいかして、これからの人生につなげたいと思った」

「外国に行きたくなりました。私は星がきれいに見える場所にいつか行ってみたいです」

「貴重な体験の写真がたくさんあって、驚いたことがいっぱいでした。そんな世界を旅してきた目崎さんの言葉だからこそ、すごく胸に残りました」

「私は日本から将来出ることはないと思っていましたが、ぜひ、外国に行って物の見方や考え方の違いを知り、よりよい生活ができればいいなと思いました」

「私はまだこの先の進路が決まらずに悩んでいるのですが、お話をきいて少し考え方も変わったきがします」

「世界は広いと改めて感じました。『幸せってなんだろう』と、今まで考えたこともありませんでした」

「”国際人”って、こういう人のことを言うのかと思いました。外国の人からアドバイスを受けているようで、とても新鮮で面白かったです」


保護者の方からは、

「今日のこの時間が未来を担う子供たちの道しるべになったことと思います。」

「欲をいえば、もっといろいろな人に聞いてもらえたら、と思いました」


そして、私の感想。

もっと広い世界、そして「幸せとは何か」に興味をもってくれるきっかけになったのであれば、本当に嬉しいです。

「最近の若者が内向きになっている」という話はよく聞きますが、それは「外の世界がどれだけ面白いか」伝える人が少ないからではないでしょうか。

幸せな人生を送りたくない人はいないと思います。どれだけ幸せになれるかという可能性を想像することができれば、あとは本人の決断次第です。

その可能性を若者たちに示すのが、私たち大人の役割ではないでしょうか。もちろん、大人が幸せに暮らしていなければ、そもそも話になりませんが。

成田国際高校2年D組のみなさん、そして保護者の方々、ご静聴ありがとうございました!韓国への修学旅行、楽しんできてください!!


2011年9月13日火曜日

共感の文明 - 個人の利益と社会の利益のありかた

たとえば映画を観ていると、自分がすっかり主人公の気分になることがある。
また、人の悲しむ顔を見ると、自分も悲しくなってくることもある。

こうした人への共感感情移入は、人間としてごく普通の行為だろう。

共感(Empathy)することは、実は人類の文明でも非常に重要な役割を果たしてきた。そして、「個人の利益」「社会全体の利益」の両方をうまく達成させるには、共感がひとつの大きなキーワードになるのではないか。

共感するという行為がどのように進化し、そして将来はどのような役割を担うべきか、アメリカを代表する文明評論家ジェレミー・レフキン氏が、以下のビデオで非常に分かりやすく解説をしている。

(残念ながら、日本語字幕が付いたバージョンがないので、こちらは英語のみ)


以下、要約です。

共感するという行為が脳の機能として理解されたのは、ある実験の偶然の結果だった。猿の脳ミラー・ニューロンと呼ばれる神経細胞が発見され、人間にも存在することがわかった。

ミラーニューロンは、他人の喜怒哀楽を、あたかも自分が体験しているように感じることを可能にする。

人間にはいくつかの根本的な欲求があるが、「何かに属したい」という欲求は非常に強い。

生まれたての赤ちゃんは、一人が泣き出すと、つられて全員が泣き出す

そして8歳ぐらいになると、「生と死」について理解できるようになる。それが存在という旅の始まりになる。

他人に同情することは、結束することにつながってくる。共感とは、ユートピアの正反対に位置している。つまり天国には共感は存在しない。なぜなら、天国には「死」「苦しみ」も存在しないから。

つまり共感とは、死を認知して、生命を祝うことなのである。それは、私たちのもろさ不完全さが基盤となっている。

いかにして私たちの意識人類の歴史を変えてきたかを考えると、共感は「見えざる手」なのである。

共感することは文明化であり、文明化は共感することである。

初期の人類にとって、共感する相手は血のつながった、自分の部族だけだった。

それが文明の発達とともに、ユダヤ人同士キリスト教同士といった、同じ宗教である人々に共感するようになった。

産業革命後、それが国民国家へと広がっていった。19世紀以前には「ドイツ」「フランス」といった概念は存在していない。それが、ドイツ人、フランス人という共感できる対象となった。

つまり、「血縁」=>「宗教」=>「国籍」 という順序で共感する範囲が広がっていった。

では将来的に、私たちは国籍を超えて、「人類」すべてに共感できるだろうか。

実際の例として、ハイチで大地震が起きたとき、世界中の人々はハイチの人々に同情している。

175,000年前に最初の人類がアフリカで誕生したとき、人口はわずか一万人ほどだった。その子孫として、現在の私たちのDNAには、すべての人々に同じ母親から受け継がれたミトコンドリアDNAが共有されており、同じ父親から受け継がれたY染色体が宿っている。

私たちは、人類すべてが大きな家族の一員であると考え始める必要がある。それは人類だけでなく、すべての生き物、そしてすべての生物圏まで広げる必要がある。

さもなくば、人にとっての他の欲求である「ナルシズム」「物質主義」「暴力」「攻撃」が人類を支配してしまう危険性がある。

共感の文明を創りあげていくことがこれからの私たちの大きな課題である。


私の提唱している「社会個人主義」は、個人の利益を追求する先に、社会的な利益との融合があることが基盤となっている。

社会性を強要されるのではなく、あくまで自発的に、社会的な活動を促すのである。

責任感義務感ではなく、「自分が幸せになるから」という理由で社会貢献できる社会を目指すべきだろう。

共感するという行為は、それを可能にすることを示唆している。

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2011年9月4日日曜日

幸せつながり

幸福途上国ニッポン』を出版してから、「幸せ」をキーワードにいろいろと活動している人たちとの交流が増えてきている。

高校時代の同級生から、「会社幸福論というのをやってる後輩がいるから、是非紹介したい」と連絡をもらい、出会ったのが、ライフスタイルプロデュース荻野淳也さん。

荻野さんは現在、表参道アカデミーにて「会社幸福論 ~幸せな会社とは~」という講座を主催している。先日は、「いい会社に投資する」ことで最近話題になっている鎌倉投信鎌田恭幸さんをゲストに迎えた日に参加した。

鎌田さんも以前は外資系金融で働いていたので、鎌倉投信の取り組みは非常に共感できる。そして私とは共通の友人も沢山いる。

金融という、カネだけを追求する世界に一石を投じるために、カネではなく「いい会社」へ投資する鎌倉投信を鎌田さんが立ち上げたのは、わずか一年ほど前の話だ。ハイリスク、ハイリターンではなく、300年社会に貢献する企業を支援するために長期投資をしている。

(鎌田さんの著書:『外資金融では出会えなかった日本でいちばん投資したい会社』)

重要なのは、やはり「なんのために会社があるのか」と考えることだろう。究極的には、働く社員、取引先、そして関係するひとすべての「幸せ」があるのではないだろうか。生き残ることだけでは不十分だろう。個人の人生でも、ただ生き残るだけでは不十分であるように。


先月哲学カフェで出会った和田さんは、生きるアシストというサイトを運営している。「今日よりも明日の日本が、誰にとっても生きやすい社会の実現を目指し命について、みんなで考えて、集まり繋がることで、ひとつの命に寄り添い、支え合うこと」を目的としている。

要するに、幸せな社会をつくっていこう、という活動である。
そして先日、私はこのサイトのブレーントラスト顧問に就任することとなった。
(詳しくは、また後日に書きます)


先々月は、フェイスブックで「GNH幸せ研究会」というページを発見した。『幸福途上国ニッポン』が紹介されていたからだ。ページを作成した長尾吉彦さんは多岐にわたる活動をされており、先日は、幸福途上国ニッポンの勉強会を開催していただいた。著者としては非常にありがたい。違った世代の魅力的な人たちに集まっていただき、いろいろなお話をすることができた。

ちなみに勉強会が開催された場所は、四谷にある喫茶茶会記。住宅地の中で、それも舗装されていない道の奥にあるので、目指して行かないと絶対に見つからないような超穴場


ここは文化サロンとして、いろいろなイベントが開催されている。民家を改造した、こじんまりとした店内にはアンティーク家具が無造作に置いてあり、雰囲気は満点だ。(写真はHPより転用)



参加していただいた人たちとの一枚。



今回ここに書いたのは、私が最近出会った「幸せつながり」の人たちのほんの一部に過ぎないが、これからもどんどん「幸せつながり」の輪が広がっていくだろうと思っている。

何のために生きているのか
何のために社会があるのか
政治は何のためにあるのか

これらの答えに「個人の幸せ」を無視することはできない。
少なくとも、そう考えるひとが世の中には沢山いることは間違いない。

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2011年8月21日日曜日

小学生の金髪はアリか?

うちのクラスには、金髪の子がいるよ

小学4年生の甥っ子の話だ。外国人留学生の話ではない。その金髪に染めている生徒は、兄弟3人と、さらに親もみんな金髪らしい。

「そりゃあ、親がアホだな。だって、小学生が自分から金髪にしたいなんて思うわけないだろ」

そう言って切り捨てたのは、私の父だった。たしかに一理はある。ヤンキー風の両親の顔が目に浮かんだ。

「でも運動会のときに、その子が応援団をやりたくて、それならば金髪はやめろと先生に言われて、黒髪に直してたよ」

なるほど。すると運動会がなければ、その子はそのまま金髪だったのか。

しかし、ここで根本的な疑問が浮かんできた。そもそも、なぜ金髪にすることがイケナイのか。

小学生には必要ないから?
でも、そもそも日本人で金髪や茶髪にする必要があるひとなどいない。必要か、必要ではないか、という判断でモノゴトを決めるのは、非常に強引である。美術も音楽も、娯楽すべては必要ではない。でも必要でないものがあるから、人生は楽しく有意義になるのではないだろうか。

服装・髪型の乱れは精神の乱れ?
これは、個人を画一化するための常套手段だと思う。そこには「みんなが同じであることが正しい」という発想が根本にある。「ひとはそれぞれが違う」とはまったく逆だ。人を教育するにあたって、個性を潰すのが最良の方法と思っているのなら、話は別だが。

常識的に考えて、おかしい?
こういう意見は、日本人の典型のような気がする。でも、常識って何だろう。みんなと同じか、そうでないか、という基準以外で、常識を定義できるだろうか。みんなと同じことが正しいことだと思う人がいるならば、それほど恐ろしいことはない。

どう考えても、小学生で金髪がイケナイという理由が思いつかない。
他に何かあるだろうか。


もしも何か思いつくならば、是非おしえて頂きたい。





2011年8月15日月曜日

医者の役目とは?

フェイスブックでほとんど偶然に、高校時代の空手部の後輩ふたりとつながった。そして先日、23年ほどぶりに、それぞれと飲みにいった。

ひとりは某大物政治家の長男なので、最近父親の地盤を継ぐため(?)に、地元で秘書をやっている。高校時代は「木村一八と喧嘩をしたことがある」と豪語していた輩だ。

よく話をきくと、中山美穂主演の当時のドラマ『まいどおさわがせします』のロケを見に行き、パンツ一枚で走り回る木村一八を指さして笑っていたら、後で本人に呼び出されたらしい。そこで喧嘩になりそうになったところ、横から佐藤B作が止めに入ったというオチだった。

そんな人物なので、当時から態度がデカく、ふてぶてしい印象を与えることもあった。でも同時に、どこか憎めない、愛嬌のある性格でもあった。要するに、自分に素直に生きているだけなのだろう。個人的には、非常に好感の持てる生き方である。

結局、彼とは朝7時まで飲みながら、政治や社会についていろいろな話をした。駅の改札口の前でも話が終わらず、最後はその場で30分ほど話し込んだ。


もうひとりの後輩は、現在八王子の病院で院長をやっている。フェイスブックでつながるまで、彼が医学部にいって医者になったことさえ知らなかった。日本の医療を世界へ輸出する試みにも取り組んでいるらしい。

私の著書に共感してくれたようで、医療の現場でも集団主義からの脱却が必要と感じているとのことだった。

非常に印象的だった彼のひと言がある。

「医者の役目とは、患者を幸せにすることなんですよ」

私は激しく同感する。しかし現状は、多くの医師たちは彼と同じ意見ではないのだろう。それは、病気を治療する行為、つまり「マイナスをゼロまで戻す」ことが医者の役目と感じている人が多いからではないだろうか。

ちょっと話がそれるが、管総理大臣が国家の目標として「最小不幸社会」を掲げたときに、私は非常に大きな違和感をおぼえた。政治の役目とは、「個人が幸せになる社会」をつくることではないか、と思っているからだ。

もちろん、幸せを感じる要素は無限大にある。個人によって、どう幸せになるかは千差万別だ。だからこそ、自分で心底納得できる、自分だけの人生を選択できる環境をつくることが政治の役目ではないだろうか。それには寛容な社会が絶対に必要となってくる。(参照:幸福途上国ニッポン

そして一番重要なのが、本人の意志である。どうすれば自分が幸せになれるかを、自分で理解していなければ、選択があっても意味がない。

話を戻そう。

医者の役割とは、患者を修理するのではないと思う。私の後輩が言うように、患者の人生がどうすれば幸せになるか、それの手助けとして医療を使うべきではないだろうか。しかしそのためには、本人がどういう人生を望んでいるのかを、医師は知る必要がある。

しかし後輩いわく、現状はちょっと複雑だ。どのような治療をしようかと患者に相談すると、多くの患者は「先生にすべてお任せします」と答えるらしい。しかしながら、もしも医療ミスがあれば、容赦なく訴訟の対象となり責任を追求される。

どうやって病気に向き合うかは、ひとそれぞれが違って当然だろう。ひとりひとりの歩んできた人生が違うのだから、同じ病気でも治療方法が違うことが大前提とすべきではないだろうか。

しかし集団主義では、基本的に人と違うことを認めない。だから患者も先生も、顔のない壊れたロボットを修理するかのように、マイナスからゼロに戻すことに専念する。そこに、「幸せな個人の人生とはなにか」という、プラスの要因を考える判断基準が入る余地はない。

自分の人生は自分のものであれば、自分の病気をどのように治療し、果てはどのように死にたいかも自分で決定するのが当然であろう。

しかし集団主義というシステムでは、「本人の意志」は重要ではない。「みんなそうだから」という理由で、みんなと同じことを強要されてしまう。だから自分の人生が自分のものである、という意識も希薄になっていくのだろう。そのような人生では、幸せを実感でなくても無理はない。

私が拙著『幸福途上国ニッポン』で提唱している社会個人主義は、医療の世界にも必要な生き方といえるのかもしれない。



2011年8月8日月曜日

FM軽井沢に生出演

8月6日(土)12時から30分間、FM軽井沢で放送している「今日の軽井沢人」にゲストとして生出演しました。

放送の録音です。





DJの宮尾博子さんと


30分間を本の宣伝も兼ねて、しっかりと話をさせていただきました。
宮尾さん、ありがとうございました!

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2011年8月4日木曜日

お知らせ(FM軽井沢)

FM軽井沢(77.5MHz)に8月6日(土)12時から出演します。

ネットでも生放送を配信しているので、以下のリンクからどうぞ。
http://www.simulradio.jp/asx/fmkaruizawa.asx


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