2011年6月19日日曜日

幸福途上国ニッポン

拙著の見本が届きました。


やはり、ソニー元社長の出井さんの推薦文と写真がインパクトあります。

書店で27日発売です。(ネットは24日)

幸福途上国ニッポン(アスペクト社)


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2011年6月7日火曜日

幸せのモノサシ

6月2日のクローズアップ現代で、

  幸せのモノサシ 
  ~指標づくりの模索~
が放送された。
幸せ…とらえどころのない、人類の永遠のテーマ。この幸せというのは、どうやって測るのか?…今、世界各国で、国民の“幸福度”を測る新しい指標づくりが進んでいる。背景にあるのは、これまで社会の豊かさを測る基準とされてきたGDPなど経済指標の行き詰まり。所得上昇と幸せが結びつかない(幸福の逆説)、地球環境などの持続可能性がない(成長の限界)などが明らかになり、社会の進歩を何で測っていくのかが改めて問われているのだ。日本でも内閣府が、経済学者・社会学者・心理学者の意見を集約し、幸福度指標の原案を示す計画だ。一方、自治体や企業の中には、経済成長や所得上昇など金銭の豊かさでない、新たな幸福論を掲げて既存のあり方を見直そうとするところも出てきている。何故今、幸せを測る必要があるのか?一体、これからの日本の「幸せ」とはどんなものなのか?これから私たちがめざす社会のあり方・人々の生き方を、指標という側面から考える。

 まず気になったのが、幸福度が低い理由として、「格差」や「将来の不安」などの「社会的不安」を指摘することが当たり前のようになっていることだ。

昔はもっと幸せに暮らしていたのに、近年の政治不信なども重なって、日本人が幸せを実感していない、という論調である。

はっきりいうが、これは事実とまったく異なる。

日本の幸福度は、1958年からほぼ変化していない。そして1980年代のバブル期には、日本は世界で2番目に格差の少ない社会だった。当時の失業率も2%程度と、雇用の問題も年金の問題も一切なかった。しかし、当時の日本の幸福度は、今と同じく先進国で最低だった。
(参照:『幸福途上国ニッポン』目崎雅昭著)

要するに、現在の日本人の幸福度が低い理由に、格差等の経済・社会的な要因はまったく関係ないのが事実である。もちろんGDPとも関係ないことは、周知の事実だ。

「昔は幸せだった」と言ってる人も、単なる勘違いなのである。なにしろ、50年以上も前から日本の幸福度が変わっていないのだから。

では、なぜ日本人はそれほど幸せを実感していないのだろうか。

実は、日本とまったく同じ傾向を示している国がある。韓国、台湾、香港、シンガポールである。これらの国は、すべて幸福度があまり高くない。

ここから推測できるのは、東アジア(シンガポールは東アジアではないが、華人が77%を占めている)には、社会構造として幸福度を低くする仕組みがあるのではないか、ということである。

次回から、「幸福度を頭打ちにする構造」について、考えていきたい。


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2011年5月25日水曜日

出版決定!

6月24日に拙著の出版が決定しました。
ネット販売開始が24日、書店販売が6月27日です。

題名は、

『幸福途上国ニッポン』

です。

詳しくは、また追ってアップいたします。

2011年5月15日日曜日

同性結婚

日本だと「同性結婚」だが、アメリカではGay Marriageになる。(Same Sex Marriageともいう)

で、以下はアメリカの女性コメディアンの言葉。

要するに、Gay Marriage という表現自体がおかしい。

「今日の午後、ゲイ・ランチをした」
「車をゲイ駐車した」
なんていわないでしょ、ということ。

なるほどね。

2011年3月16日水曜日

延期のおしらせ

3月17日に予定していました「ゆるく哲学しよう」は、延期することにしました。

この件につきましては、また追って連絡いたします。

2011年3月10日木曜日

コンピューター以前の社会

日本語に訳そうと思いましたが、それでは全然おもしろくなくなってしまうので、
原文のままアップしました。

言語がどのように変遷していくかという意味で、とても興味深いです。

2011年3月4日金曜日

最後の砦

好きなことで生きろと、人はいう
個性が大事と、皆もうなずく
やりたいことを探し、旅に出る者もいる
街にはモノがあふれ
人生の選択肢は無限大にあるかのようだ

でもぼくは混乱している
選択肢が多いからではない
個性とともに協調性を求められ
やりたいことも、常識を超えてはいけない
ぼくに許されるのは
すでにあるものを消費するだけ

結局ぼくの自由とは
常識と、前例と、世間体と
年齢と、性別に相応という縛りのなかで
人に迷惑にならないように
周りに気をつかいながら
かすかに残ったぼくの残がいを拾うだけ

ぼくの心は知っている
ぼくがぼくであるために
ぼくの心を解放するには
好きなことは好き、嫌いなことは嫌いと
堂々と宣言することだ

いくら常識外れと言われても
どれだけ人と違い
どれほどワガママと非難されようが
たとえ年不相応と呼ばれ
男らしくなくても
自分にだけは正直でありたい

ぼくがぼくでいるための
それが最後の砦(とりで)なのだから