tag:blogger.com,1999:blog-7824812802080917994.post792710902534131978..comments2022-03-28T04:23:46.616+09:00Comments on ちょっと、それって・・・: 論理という魔法魂の旅人http://www.blogger.com/profile/16022440650778595627noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-7824812802080917994.post-29163072413410497592010-11-26T23:41:42.673+09:002010-11-26T23:41:42.673+09:00コメントありがとうございます。
確かに、本文中の2つの例では、前提条件が明確になっていなかったこと...コメントありがとうございます。<br /><br />確かに、本文中の2つの例では、前提条件が明確になっていなかったことが直接の原因です。しかし、私のポイントとしては、以下になります。<br /><br /><br />1)話し合いをする場合、前提条件について事前に合意することはめったにない<br /><br />2)仮に前提条件が合意できたとしても、勘違いや論理上の間違いによって、同意できないことがある<br /><br />3)根気よく対話をつづけることで、いずれは同意できる点に達する可能性が高くなる。たとえ当初の前提条件が食い違っていても、対話によって修正される可能性が高くなる。<br /><br />4)そもそも、なぜ人びとはそのようなプロセスで、お互いの認識を修正しながらも最終的に同意することができるのか。同意を認識するためのシステムが「論理」というものではないだろうか<br /><br />ということです。<br /><br />おっしゃる通り、論理の問題自体は包括範囲が広いのですが、以上のようなケースは、論理の問題のひとつだと思いますが・・・。魂の旅人https://www.blogger.com/profile/16022440650778595627noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-7824812802080917994.post-19126006387273205762010-11-21T12:44:59.093+09:002010-11-21T12:44:59.093+09:00論理の問題というのは包括範囲が広すぎる気がします。
前提を共通認識として明確に定義していないからで...論理の問題というのは包括範囲が広すぎる気がします。<br /><br />前提を共通認識として明確に定義していないからではないかと考えます。<br /><br />記事に書いておられる問題はどちらも前提条件を明確にしていなかったが故に起きてしまった問題であると思うのですが。Anonymousnoreply@blogger.com